ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

アバターの自分ができること、できないこと

ふたり暮らし。アバターの自分ができること、できないこと。

家族を変えることがもっともむずかしい

前回、「人生のシナリオは自分で書いて生まれてきた」という記事を書いた。↓asukaze827.hatenablog.com

この世は壮大なRPGであり、この世で起きるすべての出来事は最初から決まっている、というのがスピリチュアルな考え方だ。
(私もそれを信じている。)

 

数年前に私と夫は大がかりな体質改善をし、食生活をガラッと変えた。

asukaze827.hatenablog.com

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食べものがどれほど自分の身体に影響を与えているのかということを身をもって知った私は、当然自分の両親にもそれを勧めた。でも結果は失敗に終わった。

 

とくに父は私の言うことをまったく信じず、「娘が得体のしれない怪しいサプリメントを勧めてくる」と頑なに拒否していた。父は昔からテレビが大好きなので、娘の言うことよりもテレビの言うことを信用しているのだ。

 

どうしても両親に体質改善をしてほしいと思った私は、私たちのデトックスプログラムをサポートしてくれたトレーナーさんに相談した。すると、トレーナーさんはこう言った。

 

「自分の家族、とくに親は一番手強いですよ。私は一時期、親と絶縁寸前までいきました。トレーナーの中には、自分の家族にはまだデトックスをしてもらえていない人が大勢います。」

 

びっくりした。こんなにいいプログラムなのに、この世でもっとも信頼してもらえるはずの自分の家族に信じてもらえないなんて、なにか間違ったことをしているというのだろうか?

 

私にプログラムを紹介してくれた友人も、3人目の妊娠に向けて旦那さんにデトックスしてもらうように説得するのに苦労したという。そしてその子のご両親も、うちの両親と同じように、娘の言うことになどまったく耳を貸さなかったそうだ。

 

トレーナーさんにはこうも言われた。

 

「親からしてみれば、子どもから自分たちの育児を否定されたように感じるのだと思います。だって食生活を根本から見直せって言われているのですから。だから父親はともかく、母親を変えるのはほとんど不可能と思ってください。」

 

うちの両親の場合、母は心臓の手術をしており、私がひとりっこであることも心配して、せめて自分は娘の負担にならないように…との思いでサプリメントを飲むようになってくれた。普段から病院通いをしている母は、さすがにデトックスするほどまでは私を信じてくれなかったが、私が勧めているサプリメントが悪い物ではない、ということはわかってくれたようである。

 

手強いのはむしろ父のほうで、父は今でも私の勧めるサプリメントは口にしない。その割にはテレビ通販のプロポリスだの青汁だのは取り寄せているので、健康に興味がないわけではないのだ。小さい頃から私には超甘々だった父だが、この件に関しては私の意見を聞き入れようとはしてくれないのである。

 

すべての出来事は最初から決まっている、という考えでいくと、私たち夫婦がデトックスプログラムに出会ったのも必然ということになるし、私たち夫婦が健康に興味を持つようになったのも必然である。

 

そしていくら私に説得されても意見を曲げない父の選択もまた、必然なことなのかもしれない。すべてはすでに決まっていて、目の前で起きた出来事にどんな意味づけを行うかは人それぞれなのだろう。私は健康についての情報に出会い、自分のために食生活を改善する道を選んだが、父はそうではなかったというだけだ。父の運命は私には変えられない。

 

運命を変えようとし、でも宿命は受け入れた伯母

3年前、80歳で膵臓癌によって亡くなった父方の伯母は、若い頃から身体が強く、ずっと健康が取り柄だった。毎年の健康診断では何の異常も見つからず、だからいきなりステージ4の癌が見つかった時、本人も周囲の人もみんなとても驚いた。

 

80歳という寿命をどう捉えるかは人によると思うが、伯母は最初手術を望んでいた。でもそれができないとわかると、すぐに緩和ケアの方向に舵を切った。

 

私は伯母にはまだ生きていて欲しかったので、お医者さんの勧める添加物だらけの栄養ドリンクではなく、自分が飲んでいるサプリメントジュースを飲むように勧めた。伯母は昔から物事の本質を見るタイプの人間で、偏見がなく、両親でさえもが「葉月があやしい健康食品にはまってしまった」と訝しんで受け入れなかった私の話にも、真剣に耳を傾けてくれるような人だった。
(伯母と夫の母は考え方が似ている。)

 

手術を受けようと思っていた時期の伯母は「葉月の言う通りやってみよう。そのサプリメント、次来る時に持ってきて」と言ってくれていたが、手術ができないと知ったあとは、「医者には逆らわないことにした」と180°意見を変えた。私はそれがとても悔しくて、悲しかった。伯母は私の手を握りしめながら、無言で何度も頷いて見せ、その目には死期を受け入れた人間の強さが宿っていた。

 

人の寿命は最初から決まっている、とは言うけれど、いざ自分の身内がその局面に立たされると、抗おうとせずにはいられない。

 

たとえ伯母が私の勧めるサプリメントを飲んだところで、もっと言えば、伯母がそれ以前からずっと今の私と同じ食生活を送っていたとしても、「すべては最初から決まっている」ならば、80歳で亡くなる宿命は同じだったのかもしれない。

 

「すべては最初から決まっているけれど、人間には自由意志が与えられていて、AとBふたつの選択肢があったとしたら、そのどちらを選ぶのもアバターである人間の自由だ」と言うスピリチュアリストもいる。ただ、どちらの道を選ぶことも本体の自分にとってはすべて折り込み済みであり、すべてはつながっているのだということだ。

 

身体に指令を出しているのは自分じゃない?

これはスピリチュアルというよりも脳科学のお話になるが、人はじゃんけんをする時、頭で「パーを出そう」と考えるよりも一瞬早く、身体がパーにする反応を起こしているのだそうだ。私たちが自分の意思で考え、決定していると思っていることはじつはそうではなく、何かがあらかじめ自分の身体に指令を出しているから起きていることであり、私たちが自分の意思で起こしたことではないのだという。

 

つまり、自分の行動は自分自身が考えて選択していることではなく、行動が先にあり、脳(自分)はそれを後から認識しているということだ。

 

科学や量子力学はスピリチュアルと密接な関係があると言われていて、私も初めて聞いた時にはなんて胡散臭いんだろうと思っていたが、今はあながち眉唾ものだとは言い切れないんじゃないかと思っている。
(だから、某宗教の「幸福は科学で語れる」という言葉自体は理解できる。※信者ではありません。)

 

映画マトリックスを理解できるかできないか?

マトリックスの1作目が公開された時、自分が何歳だったか忘れたが、「ちょっと難しいけど面白い」と思ったことを覚えている。でも内容が突飛過ぎたため、後日もう一度観に行ってより理解を深めた。

 

一緒に観にいった母は、「なんだかよくわからなかったけど、キアヌリーブスがかっこよかったわね」と感想を述べていて、どんな世界観の話かをあまり理解していないようだった。父はその後しばらくしてからテレビで観たそうだが、やはり母と同じく、「意味不明な映画だったな」と言っていた。

 

とあるスピリチュアリストの話によると、人間は年齢が下に行けば行くほど進化した魂を搭載しているのだという。さまざまな体験を通して魂を刺激し、経験を積ませることが私たちがこの地球に生まれてきた理由なので、赤ちゃんの魂はお年寄りの魂よりも、経験豊富で、進化した状態で再びこの世に送り出されているというわけだ。

 

映画マトリックスは、本体と肉体とを分けて描いているため、古い魂を搭載している人にはとてもわかりにくく、難解に感じてしまうらしい。だから、今の若い人たちがマトリックスを観ると、私たちとはまた違った感想を持ち、内容自体はすんなり理解できるだろうということだ。
(もちろん、年齢だけで決めつけられるものではないと思うが。)

 

宿命は変えられないけれど、運命はアバターの自分次第

すべては決められているとはいえ、アバターである人間の私たちには自由意志というものも与えられている。じゃんけんの話で考えると、その自由意志ですら、最初から決められているということになるが、それならそれでいいと思う。

 

この世で起きることのすべては150億年前、ビッグバンが起こった時に決められたというのだから、そんな途方もないスケールのものを人間が理解しようとしても無理だし、逆うことはもっと無理だ。

 

この世には150億年分以上の過去も未来も同時に存在し、どの時代のどこでゲームをプレイするかは本体の自分が決めている。そして私たち人間は、全員が同じ本体につながっている。だからすべてはひとつ。あなたも私も、本体は同じひとつの魂なのだという。


RPGでアバターを複数作成する時、同じ見た目で同じ職業で同じストーリーをもう一度やろうとは誰も思わない。違うキャラでべつの展開を楽しみたいと思う。それと同じで、本体の自分は様々な人生を歩むアバターを作り、良いことも悪いことも、たくさんの出来事を楽しみたいと思っている。でも、何体アバターを作成してもゲームのメインストーリーが同じであるように、宿命は変えられない。

 

メインストーリーは変えられないけれど、サブストーリーは選択できる。「すべては決まっているなら何にも考える必要ないじゃん」と諦めるより、何ごとも自分自身で考え、自分の意志で決定し、自分の責任で行っていると思ったほうが人生は楽しく、生きている実感もわく。そして、本体の自分は私たちががそのように生きていくことを望んでいる。

 

私は流されるままに生きるのが心地よいけれど、流されるままに生きることを選択しているのは自分の意志だし、人生を自分で切り開いてきたと思っている。

 

ただ、なにか困難にぶつかった時、あるいはものすごく迷うような分かれ道に差し掛かった時に、「シナリオはもう決まっているのだから、どっちを選んでもどっちみち正解なんだ」と思えるようになったことは、とてもいい学びだったと思う。