ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

削ぎ落としていく日々

ふたり暮らし。削ぎ落としていく日々。
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ミニマリズムを地でいく夫の母

私がまだミニマリズムという言葉を知るずっと前、その生き方に衝撃を受けた相手は夫の母だった。↓

asukaze827.hatenablog.com

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夫の母がミニマリストという言葉を知っているのかどうかは知らないが、昔からミニマリズムを地で行く人だったようで、夫の実家はものがとても少なかった。私の実家の物量の100分の1くらいだったと思う。大げさでもなんでもなく。そもそも収納自体があまりない家だった。

 

夫の母だけでなく、 亡くなった夫の父の部屋もがらーんとしていて、遺品も少なかった。古い一軒家だったのだけれど、義父は喫煙者だったのにどの部屋も清潔で、廊下や階段の手すりは磨き込まれて黒光りしていた。古いキッチンには無駄なものが何ひとつなく、かたわらには真っ白に漂白されたボロボロの雑巾が一枚。夫の母は、家中をこの雑巾一枚で拭いて回っていた。

 

現在もだけれど、昔から夫の母の服装は黒いトップスに黒いパンツ、黒いスニーカーと黒いリュック。いつ会っても同じ格好だ。夫の母もバレエが好きなので、私の舞台を観に来てくれる時などはその上からジャケットを着てフラットなパンプスを履いていた。

 

見た目や持ち物だけでなく、夫の母は世間体や他人の目を気にしない。いついかなる時でも我が道をゆく。しばられることが大嫌いで、時代の流れに逆らえなくなって仕方なくスマホを買ったものの、義母にとってのスマホはあくまでも「電話番号を取得するために買ったもの」であって、連絡ツールではない。なので肝心の外出時にはスマホを携帯しておらず、連絡が取れない。笑

 

昔は「変わった人だなぁ」と思っていたけれど、今は私にとってもっとも身近な人生のお手本となっている。

 

義母は、余計なものを持たない一方で、好奇心旺盛で自分がやりたいと思ったことはすぐに行動に移す。そのための投資も惜しまないし、それをやるために一定期間朝から晩までがむしゃらに働く、ということもする。こだわりが強く、どうせやるならいいものを揃え、いい先生につきたいと願う。そういう欲は人一倍ある人だ。

 

お金と時間の使い方のメリハリがすごい。見習いたい…けれども難しい。

 

ミニマリストという生き方を知った本

「ぼくたちに、もうモノは必要ない(佐々木典士 著)


ミニマリズムを語る上でもっとも有名なこの本に、私はマキシマリストだった頃に出会った。その頃はミニマリズムなんて言葉はまったく知らず、日々せっせと収納技術を磨いていた。狭い1Kに住んでいたこともあって、大量のものたちをテトリスのごとく上手〜に収納していた。あの頃は収納技術を磨くことに夢中になっていて、あれはあれで楽しい思い出だ。

 

この本を見つけたのも、Kindleで収納技術の本を読み漁っていた時だ。タイトルに惹かれてサンプルを読んでみた。そして気がついたら買っていた。

 

モノが少ない、幸せがある。
だから、ぼくたちに、もうモノは必要ない。

 

出だしからいきなり心を掴まれた。そして不思議と妙に納得した。脳裏に夫の母の顔が浮かんだ。

 

大家さんの都合で2LDKから1Kの物件に引っ越すことになった時、私は大量のものを処分した。でもそれは断捨離というよりは、必要に迫られて仕方なくといった側面があり、自ら手放そうと思って手放したわけではなかった。

 

にも関わらず、処分した大量のものに対して後悔の念はまったくわかなかった。

 

「ものが減ると気持ちいい」と思い始めていた私は、この本を読んでミニマリストという生き方を知り、主体的に断捨離に取り組めるようになった。

 

ミニマリズム最初の一歩に立ち返る

今、改めてこの本を読み返すと、当時とは違う発見がいろいろある。

 

ここで少し話がズレるが、「葬送のフリーレン」のセリフにこんなのがある。

「哀れだよな。人が地位や財産にしばられているように、魔族は魔力にしばられている。やつらは魔法を誇りに思い、誰よりも魔法が好きなのに、己の魔力すら自由にできない」


 フリーレンの師匠、フランメの言葉だ。主人公のフリーレンは魔法使いで、この世界では魔族という悪魔のような種族たちも魔法を使う。魔法を使う者は魔力と呼ばれるエネルギーが全身から発せられていて、そのエネルギー量が多ければ多いほど、強い魔法の使い手ということになる。

 

人間が己の権力の強さを身なりで誇示するように、魔族は精一杯の魔力を全身から出すことで己の強さを誇示する。でもフリーレンはフランメの指導のもと、魔族たちを欺くために、自分の魔力の出力を10分の1以下にして一生を過ごし、その少ない魔力に油断した魔族たちを次々に倒していく。

 

魔族は生まれた時から魔法に真摯に取り組み、とても多くの時間を魔法の鍛錬に費やして生きている。フリーレンやフランメと同じように、魔族もまた、魔法が好きなのだ。でも、シンプルに「魔法が好き」という気持ちが、いつの日からか己の強さを誇示することに必死になり過ぎてしまい、やがてその必死さが仇となって足元を掬われてしまうのである。

 

人間の私たちも考えさせられる内容だ。

 

最初はただシンプルに好きだったものや事でも、それが自分軸ではなく他人軸になってしまった瞬間、好きだったものも事も、自分の見栄を満たすためだけの道具になり下がる。大好きだったものに振り回され、やがて支配されていく。

 

ここで、「ぼくたちに、もうモノは必要ない」に話を戻すと、本にはこんなことが書かれている。

増えすぎたモノは、今度は逆に自分に牙を剥いてくる。時間も、エネルギーも「自分」と化したモノに奪われるはめになる。そうしてかつて自分の道具だったモノが、自分の主人になっていく。モノはもう機能のために使われるモノでも、「自分の価値を伝える」ためのモノでもなくなる。ついにモノは「自分を損なう」モノになる。モノが主人で、自分はその奴隷だ。

「自分を損なう」までに増えたモノ。次々にエネルギーと時間を吸い取る化け物にまで増えたモノ。道具でなく、主人としてのモノ。あくせく働き、一生を捧げるためのモノ。モノという主人を巡って人が争う異常な事態。

 

フリーレンの世界では、魔族は周囲に自分の強さを誇示するために、魔力の奴隷となって生きている。私たち人間の世界では、周囲に自分の力を誇示するために、モノの奴隷となって働いている。魔族も人間も、こんなのでは幸せになれるはずがない。

 

違う視点を持つとさらに削ぎ落とせるものが見えてくる

その後いろいろなミニマリストの人たちの生き方を知り、私も大きな影響を受けた。ものを所有しないことに、焦りや不安が湧きにくくなり、「足るを知る」ということをほんの少しずつだが実感できるようになっていった。

 

今は定期的に断捨離をするというよりは、日々の生活の中で削ぎ落とせるものを削ぎ落としていく程度に落ち着いた。捨てる技術が身についたため、最近は有名ミニマリストのブログや本を以前のように読まなくなっていた。

 

でも、時々初心に立ち返ることも大切だと今回実感した。かつて読んだ本を読み返すこともそうだけれど、今まであまり観ていなかったミニマリストさんの動画を観たら、新たな視点を持つことができて、またさらに勉強になった。

 

ここ数日は断捨離がとてもはかどった。今まで捨てるのをためらっていた(というかなんだか捨てにくいと思っていた)思い出の品々も手放すことができた。真夏は暑くて断捨離どころではないので、今のうちに見直せるものをすべて見直そうと思う。