ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

習い事を辞める意外な理由

ふたり暮らし。習い事を辞める意外な理由。

人前で踊るのが嫌だった子

バレエ教師をしていた頃、ある年の発表会直後にバレエを辞めると言いにきた子がいた。多くの子が発表会の高揚感のまま、レッスンにやる気をみなぎらせている時期だ。この時期に自分の意思で辞める子は珍しい。
(受験期の子は発表会を区切りにして辞める子もいたけれど、この子はまだ小学2年生で、2回目の発表会だった。)

 

お母様は続けさせたがっていたけれど、とにかく本人の意思が固く、説得できるような様子じゃなかった。いつも楽しそうにレッスンしていただけに、残念でもあり、意外でもあった。

 

「理由を言わないんです」とお母様がおっしゃるので、何か言いにくいことがあるのかな?もしかしてクラスの誰かに意地悪されたりしてる?といろいろ訊いてみたが、どれも違うと言う。その子がぽつりぽつりと言うには、「バレエは好き」。「友達も好き」。「先生も好き」。だけど「辞めたい」のだそうだ。

 

「レッスンがいや?」
「ううん。レッスンは好き」
「そっかぁ。じゃ、おうちで柔軟体操するのがいや?」
「ううん。いやじゃない」
「バレエのある日は学校のお友達と遊べないのがいや?」
「ううん。いやじゃない」
「発表会が楽しくなかった?」
「・・・・・・・」

 

子どもの顔は正直だ。笑
予想外過ぎる答えだったけれど、その後よーく話を聞いてみたら、「人前で踊ることがいや」だったのだと判明した。これにはお母様も驚いていた。

 

その子曰く、バレエのレッスン自体は楽しくて、上達するのも嬉しい。振り付けを覚えるのも好きだし、可愛い衣装を着れるのも嬉しい。だけど、舞台の上で大勢に見られるのはいやで仕方なかったのだそう。

 

「発表会ってそういうものなんだよ。じいじやばあばにも◯◯の踊り見てもらえて褒めてもらったじゃない」とお母様が言うと、その子はそれまでに私が聞いたことのないキツイ言い方で、「だから!それがいやなのっ!!」と叫んだのである。

 

私もその子のお母様も、「女の子というのはみんな可愛い衣装が好きで、ステージの上でスポットライトを浴びて、みんなに可愛かったよ上手だったよと褒めてもらうのが大好き」だと勝手に決めつけていたのだ。まさか舞台に立つことがいやな子がいるとは考えもしなかった。人前に出ることが苦手な子は、そもそも最初からバレエを習いたいなんて言わないからだ。

 

大人の生徒さんだと、「人前で踊るのはいやだけどレッスンはしたい」という人が大半だけれど、子どもの場合は逆で、「日々の基礎レッスンは嫌いだけど発表会は好き」という子がほとんどである。日々の単調なレッスンが好きになるのは、ある程度大きくなってからで、小さいうちは発表会に出ることだけをモチベーションにしている子が多い。

 

でもその子は、多くの大人の生徒さんと同じ感覚だったのである。こういう子もいるのか〜!と大変勉強になった出来事だった。

 

結局、私の教室では小学生以下は発表会に全員参加するのがルールだったので、そういうルールのないお教室を探してみたらどうかとお勧めしておいた。その後その子がどうしたのかはわからなかったけれど、どこかで好きなバレエを続けられていたらいいなと思った。

 

バレエそのものに興味がない子

その後も、

「バレエは大好きだけど舞台メイクするのがいや(そんなこと言われても。笑)
「毎日柔軟体操するのはいやだけど、自分だけみんなより身体が固いのはもっといや(一体どうしろと。笑)

などと、斜め上をいく理由で辞めていった子もいたりして、私はちょっとやそっとのことでは驚かなくなった。笑

 

ある時、普段からちょっと話通じないな〜と思って苦手にしていたお母様が来て、私にこう頼んできた。

 

「娘がバレエを辞めたがっているからなんとかして引き止めてください。あの子はバレエを辞めたらなんにもしなくなる。今だって、バレエのない日はなんにもしないんです。友達と遊ぶでもなく、勉強するでもなく、家でゴロゴロしてるだけ。引きこもりなんです!」

 

それのどこがいけないんだろう?と思った。ただインドアなタイプというだけではないか。まだ小学2年生だ。そのうちいやでも忙しくなるんだから、低学年のうちくらい、毎日ゴロゴロしてたっていいではないか。

 

と思ったものの、そんなことは絶対伝わらないお母様だということをよくわかっていたため、一応その子に説得を試みることにした。何もせずに放置していたら後で何を言われるかわからないからだ。

 

「お母さんからバレエ辞めたいって聞いたけどほんと?」
「うん。(即答。笑)
「お母さんは続けてほしいって言ってたよ」
「うーん。…でも辞める」
「そっかぁ。先生は悲しいなぁ。◯◯ちゃんと会えなくなっちゃうなんて」
「時々会いに来てあげる♡(可愛い。笑)
「バレエが嫌いになっちゃったの?」
「ううん。」
「バレエのなにがいやになっちゃった?」
「べつになんにもいやじゃないよ」
「なんにも?じゃあバレエは好き?」
「ううん。好きでも嫌いでもない(つまり興味がない。爆笑)
「来年発表会だから、そこまで続けてみたら?お衣装楽しみでしょ?」
「べつに楽しみじゃないけど」

 

衣装が楽しみじゃない子にこれ以上説得に使えるカードはない。笑

 

この子はほんとにバレエに興味がないのだ。始めたきっかけも、歳の離れたお姉ちゃんがかつて通って来ていて、「レオタードもシューズもまだ使えるから使わないともったいない」と言ってお母様とお母様そっくりなややこしい性格のお祖母様に、わけもわからない小さいうちから始めさせられたような子だ。

 

お迎えに来たお母様に、「申し訳ないです。ちょっと意思が固くて説得できなくて…」と謝ると、「ええ〜!?困るんですけど。なにか習い事させとかないと、ほんとに引きこもりになっちゃう」と責められたので、「◯◯ちゃん、以前、お習字習いたいって言ってたことがあるので、体験とか行ってみるといいかもしれません」と言ってみた。

 

「お習字〜?体動かすものじゃないと。あの子太り気味だから」

 

あのさ!小さい頃に多少ぷくぷくしてたって大丈夫だから!太ってないから!お姉ちゃんも小さい頃はぷくぷくだったけど今はスタイルいいじゃん!本人がインドアが好きって言ってるんだから希望通りにさせてあげてよ!

 

と、喉まで出かかったが飲み込んだ。子どもには気の毒だけれど、私にこれ以上このお母様と付き合えるキャパはない。おとなしくさっさと辞めてくれ…と思った。

 

長く続けてほしいけれど…

せっかく習い始めたのだから、長く続けてほしいと私も思う。「バレエ大好き♡」とみんなが思ってくれるようにするのが私のつとめではあるけれど、正直言って、私にはバレエを習っているのにバレエを好きになれない子の気持ちや、バレエという舞台芸術を習っているのに舞台に立つのがいやな子の気持ちなんてさっぱりわからないのだ。

 

でも、そういう子もいるんだなということは経験から理解できるようになった。

 

そういえば中学の時、転校してきた女の子に、「バレエ?あの舞台で踊るやつ?ねえ、あれって踊ってて楽しいの?」と真顔で訊かれて絶句したことがある。そんな質問初めてされたし、そこに想像が及ばない人がいるんだ!とびっくりしたのだ。

 

その子はピアノを習っていると言うので、私自身はピアノが楽しいと感じるほど続けていなかったけれど、「ピアノも弾いてて楽しいでしょ?それと同じだと思う」と言ったら、「ああ、そっか…!」と納得していたので、悪気はなかったようだった。

 

ラソンする人、登山をする人、ボクシングをする人…   それをやらない人からみたら「なにがそんなにいいんだろう?」と思いつつも、「きっとやっている人にだけわかる素晴らしさがあるんだろうな」と想像がつく。でも、世の中にはその想像ができない人もいるんだなぁと、思った。

 

バレエを辞めていく理由も、好きな人にはわからないだけで、本人にとっては大きな理由なのだ。そういうことを学べたことも、バレエ教師をしていてよかったことのひとつである。