ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

生まれ持った役割

ふたり暮らし。生まれ持った役割。

すべての人が役に立っている

スピ的には、人にはそれぞれ生まれ持った役割があるらしい。

 

こう聞くと、ついつい「自分も何かやらなくちゃ!」「何者かにならなくちゃ!」と焦ってしまうけれど、そういうことではなくて、日常生活で人から求められることをやるだけで、その役割をこなしていることになるそう。

 

毎日家族に求められるお世話をしている主婦も、毎日会社に求められる業務を行っている会社員も、はたまた近所の猫に求められるがままに膝を貸しているお年寄りも(笑)、誰もが例外なくそれぞれに自分の役割をこなしている。

 

じゃあニートはどうなんだ?どんな役割があるんだ?と思われるかもしれないが、彼らにもちゃんと役割がある。それが「自宅で好き勝手に過ごすこと」なのだという。
(なんだそれ!怒 という感情はいったんおいておく。笑)

 

昔、ニートのことを自宅警備員と呼んだりしていたけれど、自宅警備も立派な役割だ。腕っぷしの自信のある無しは関係なく、お年寄り夫婦だけの世帯よりは防犯上(若干)安心できるのはたしかである。

 

そもそも、親に心配をかけ、思い悩ませることも、ひとつの役割なのだという。「子どもが自立しないせいでいつまでも親の役目を終えることができない」と、親に「役割」を与える存在であることがニートの役割だそう。
(ちょっと何言ってるかわからない気もするが。笑)

 

ニートはまったく社会に必要とされていないかといえばそんなこともなく、たとえばオンラインゲームの世界ではニートはかなり重宝される。時間があるから強い人が多いのだ。私もネット上のニートの友人にたくさん助けられたし、一緒に楽しい時間をたくさん過ごしてきた。

 

こんな感じで、人にはそれぞれ役割がある。「生まれ持った役割」といっても、生涯同じ役割を果たさなければならないわけではなく、「その時その時で自分が求められていることをやること」、それがすべての人間に与えられた役割なのだそう。

 

ニートの例と同様に、たとえ寝たきりのご老人であっても、なんの役割も果たしていないということはない。人は、生きているだけで何かしらの役割を担っていて、誰かの役に立っているのである。

 

 

「親切にされる人になりなさい」

私はたまたま仏教の幼稚園に通っていた。月に一度、本堂で偉いお坊さま(理事長)のお話を聞く日があり、話の内容はほとんど覚えていないのだけれど、見出しの言葉は毎月のように繰り返し聞いたので覚えている。

 

子どもに「親切な人になりなさい」と教えるのはよく聞くが、「親切にされる人になりなさい」と教えるのは珍しい。これは、人に「親切をする機会」を与えてあげられる人になれ、という意味だ。親切にされる人になるのは、親切な人になるより難しい。別バージョンで、「感謝される人になりなさい」というのもあった。

 

人に親切にすること、感謝することは尊いことであり、その機会を与えられたことはとてもありがたいことである。だからあなたたちも、まわりの人たちにその機会を与えてあげられる人になりなさい、とほかの先生方もよくおっしゃっていた。

 

大人になってスピリチュアルな考えを知り、先述した「生まれ持った役割」について聞いた時、「先生方がおっしゃっていたのと同じことだ!」と思った。相手に施すだけでなく、その人にも施す機会を与えてあげるのが本当の優しさなのだと。

 

昔々、とある偉いお坊さんが民家を回って施しを受ける際に、弟子にこう言ったという。「なるべく貧しい家に行きなさい」と。弟子が、「なぜですか?貧しい家は他人に施す余裕がありません。裕福な家に行くのが世のためでは?」と訊くと、お坊さんは、「貧しい人は人に与えないからいつまでも貧しいままなのです。粥ひとさじでもいいから、施す機会を与えることが、私たちの役目であり、世のためにもなるのです。」

 

これは仏教だけでなく、世界中のどの宗教にも同じような教えがあるらしい。後世で様々な感情で意訳され、「危険な宗教」のイメージがついてしまったものもあるけれど、どの宗教の神様たちも、みんな同じことを説いていらっしゃるのだ。

 

 

物語の始まりはいつも同じ場所。でも人生は千差万別。

先日読んだブログに、「人はみな持って生まれたカードがあり、人生はその手持ちのカードだけで困らないようにできている」というようなことが書いてあってとても共感した。

 

以前記事にした「パリの家族たち」の冒頭にこんな言葉が出てくる。

「物語の始まりはいつも同じ場所。母親のおなかの中だ」
「同じスタート地点から、千差万別の人生を歩む」


同じ両親から産まれたきょうだいですら、まったく違う人生を歩むのだから、べつの両親から産まれた他人同士が、みんな同じような人生を目指すのはおかしい。同じ場所から始まって、みんながそれぞれ違う人生を歩むからこそ、世の中はどんどん進化していくのだ。そして、それぞれ好きなことをして生をまっとうした私たちは、また同じ場所に還っていく。

 

ポーカーみたいに手持ちのカードはチェンジできないけれど、もしチェンジできたとしても、私は今のままがいい。ロイヤルフラッシュみたいな人生は、私には荷が重すぎるから。そういうカードは重く感じない人のところに最初からちゃんと配られているんだと思う。

 

自分に配られたカードがブタであっても、その時その時で自分が必要とされることをやり、人に感謝し親切にして、そして自分も感謝され親切にされる人になること。こういう人生を送れたら、その人生は大成功なのだ。