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医療漫画で描かれる「自然派の人」

ふたり暮らし。医療漫画で描かれる「自然派の人」。

自然派の人は医療従事者の敵?

今、とある医療漫画を読んでいる。絵柄もかわいくてきれいだし、話の内容も面白い。主人公や登場人物たちのキャラクターも魅力的だ。人気漫画なのが頷ける。

 

各エピソードには、それぞれ様々な症状を持つ患者が登場するのだけれど、その中に、「子どもに予防接種を受けさせていない母親」が登場する回がある。いわゆる「自然派ママ」というやつだ。

 

そして、このママが大きく影響を受けた人物として、「薬剤師の自然派ママ」がこのエピソードのキーパーソンとして描かれている。

 

ストーリー上の役割分担とはいえ、薬剤師ママ→変な人で、主人公→正義、という描かれ方に私はちょっとだけもやもやしてしまった。

 

医療漫画なので当然なのだけれど、話は医療従事者側の視点で進んでいく。この漫画内における「正義」は薬と医療であり、医療従事者側からみて「適切な」治療を拒否する者はそのエピソードの敵(説得すべき相手)として描かれている。

 

話の中で、薬剤師ママは積極的に発言していない。主人公側はワクチン接種の大切さや安全性をしきりに述べているのに対し、薬剤師ママは反論しない姿勢を貫いている。これはかなりリアルだなと思った。

 

自然派の人たちは、その考えが強くなれば強くなるほど、自然派じゃない人たち(特に医療従事者)には口を閉ざすようになる。両者が決して分かり合えない存在だと知っているからだ。

 

漫画内で、この薬剤師ママが主人公に向かって意見を言ったのは1回だけだ。
「ワクチン接種は義務じゃない。自分で考え、リスクも受け入れて選択する人の権利も認めなくちゃ」

 

エピソードの終盤、主人公はこの薬剤師ママに向かってこう言い放つ。


「私だって人間の治癒力を信じてます。でも社会やそこで暮らす人たちが病気や衛生問題と闘って生活していく。それを手伝うために私たちは日々学んで知識をつけてきたんじゃないですか」
「その役目を放棄するなら、薬剤師を名乗る資格はないと思います」


このセリフに対し、薬剤師ママはなにも反論せずに立ち去っていく。

 

「今はもう薬剤師としては働いていない」

この薬剤師ママが実在の人物だとしたら、自らのことを薬剤師と名乗る時には、必ず「今は薬剤師として働いていないこと」を強調するだろう。なぜなら、自然派に興味を持った人たちに対して、「かつて医療の世界にいたからこそわかる。そして今は医療従事者ではない」ということが大きな説得力を持つからである。

 

自分が医療従事者として学んできたこと、行ってきたことの(すべてとは言わないが)多くが「間違っている」と気づいたからこそ、彼女は自然派になったのだ。

 

じつはこのように、自然派の人たちの中には元医療従事者という人が少なくない。その世界に詳しいからこそ、自分に子どもが生まれた時や、大切な人ができた時などに、普通の人よりたくさん「考える」のだろう。

 

昔、食品の裏側という本がヒットしたけれど、医療従事者から自然派への転向はこれと似ている。「食品添加物は素晴らしい」と信じて疑わず、数々の商品を世に送り出してきた著者が、「自分の娘にはこれを食べさせたくない」と思ってしまった時、胸がつぶれる思いで一夜を明かしたと書いてあった。

 

自然派に転向した元医療従事者たちも、きっと同じような思いをしたのだろう。

 

漫画内にも出てくる「思考停止」という言葉

漫画内で、エピソードの発端となる「子どもにワクチンを受けさせていない自然派ママ」は、過去の自分のことを「思考停止していた」と振り返っている。

 

人に言われるがまま、国のことも世間のこともなにも疑わず、ただ流されてきた自分。それが薬剤師の自然派ママとの出会いによって、自分で調べ、考えるきっかけを与えられた、と。

 

これは、この漫画の著者が自然派の人たちを取材した時に、実際に見聞きしたセリフなのではないだろうか。

 

医療の分野だけに関わらず、世の中には思考停止している人がとても多い。私は自分の身体に関することはとてもよく考えて暮らしているけれど、分野によっては、きっと思考停止している部分もあると思う。

 

薬剤師の自然派ママは、決して薬剤師や医者を敵に思っているわけではない。ただ思考停止している人たちに考えるきっかけを与えたいと思っているだけなのだ。巷でよくある、ステロイド推奨VS脱ステロイド、というような対立をあおりたいのではなく、「なぜステロイド治療を選ぶのか?」ということを自分自身で調べて考えてから選択してほしい、と思っているのである。
(もちろんそんなことは漫画内には描かれていないけれど…)

 

漫画内の薬剤師ママのセリフや振る舞いがあまりにもリアルに描かれているため、これは相当時間をかけて取材した、著者にとって渾身のエピソードのように感じた。

このエピソードそのものが、「(身体のことについて)考えるきっかけになったら」という、薬剤師ママのセリフに繋がっているのだと思う。

 

現実の世界でも、自然派の人たちは医療を信じていないわけではない。漫画内のセリフにもあるように、「必要と思えば」医療の力を借りることもある。彼らが信じていないのは、ひとことで言えば「国」なのだ。

 

日本という国が私は大好きだし、自分が日本人であることを誇りに思っている。その気持ちは自然派の人たちもみんな同じだと思う。でも、国のやることを(すべてとは言わないが)私は信じていない。

 

コロナのことでワクチンの必要性が取り沙汰されていたのは、思考停止している人たちが自ら考えて選択するようになったいい傾向だと思っている。この漫画のエピソードも、コロナ渦以降に描かれていたら、また違った内容になっていたのではないだろうか。

 

漫画の中で、主人公が薬剤師ママに「自分の子供が感染症にかかっても何もしないのか」と訊き、薬剤師ママが「極端ですねぇ」と呆れた顔をするシーンがある。

 

現実の世界でも、自然派だからといって何がなんでも医療行為を全否定するなんて、そんなゼロイチ思考の人はほぼいない。

 

お互いを否定し合うのではなく、双方の必要な部分をうまく取り入れながら、自ら学び、考えて選択することが、日本で生きていくためのとても大切なスキルであると、私は思う。