ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

人生の半分

ふたり暮らし。人生の半分。

10代の自分と今の自分

先日、夫と出会って20年を迎えた。これで私は人生の半分を夫と過ごしてきたことになる。

 

小さい頃からバレエしかやってこなかった私が、夫と出会ったことで違う世界を知り、視野を広げることができた。10代の頃は、「バレエのない人生なんて考えられない。死んだほうがマシ」と思っていたのに、今の私はバレエとはほぼ無縁の生活をしている。そのことに、自分でも時々信じられない気持ちになることがある。

 

山岸凉子さんのバレエ漫画「テレプシコーラ」では、バレリーナを志していた少女が度重なる大怪我によって自分の将来に絶望し、死を選んでしまう場面がある。その訃報を聞いたバレエの先生たちのやり取りに、こんなのがある。

 

「馬鹿だ…!バレエだけが人生じゃないのに…!」
「俺も今だからそう言えるけど…」
「………そうだな」

 

私も、10代で初めてこの漫画を読んだ時は自殺した子の気持ちに共感していた。でも今は先生たちのセリフに共感する。「バレエだけが人生じゃない」けれど、それは大人になった今だからそう思えるんだということ。

 

バレエに限らず、いじめを苦にして死を選んでしまったりすることは、今偉そうなことを言っている大人たちが10代に戻ったとしても、大いにあり得ることなのだと思う。狭い世界で生きている10代の子は、行き場をなくしてしまうと簡単に絶望してしまうものなのだろう。

 

バレエ教師時代、自分自身が10代の頃に「バレエのない人生なんて考えられない。死んだほうがマシ」と思っていた記憶自体はあるものの、すっかり大人の感覚になっていた私は、教え子たちが「高校を卒業したらバレエの道に進みたい」と相談に来た時に、手放しで応援してあげることができなかった。

 

「ご両親は賛成してくれてる?」
「バレエで食べていくのはほんとに大変だよ」
「普通の大学に行ってもバレエは続けられるよ」
「バレエに関わる仕事はほかにもあるよ」

 

教え子たちがバレエをこんなに好きになってくれるなんて、教師としてこの上ない幸せのはずなのに、私はその思いを突き放すことばかり言ってしまった。

 

バレエと離れた生活をしている今の私なら、あの子たちのやりたいことを無条件に応援してあげられたと思う。「人生はバレエの道に進んだ後も続いていく」という当たり前のことを実体験として知っているからだ。

 

バレエがすべてだった私の人生に、それ以上の喜びや幸せをもたらしてくれたのが夫だった。私はたまたま「結婚」というかたちでバレエ以上のものを得ることができたけれど、それが結婚や人との出会いでなくても、教え子たちが将来「バレエ以上の何か」に出会える可能性はとても大きい。だから、それまでは思う存分にバレエを続けてほしいと思う。
(バレエ以上の何かに出会えなければ、バレエを続けていけばいいだけだ。)

 

三つ子の魂百まで…でも中身はちゃんと成長している

小さい頃からの性格や好みというのは、今もあまり変わっていない。三つ子の魂百までというのは本当だなと思う。

 

その一方で、こんなふうに人生への考え方や捉え方が変わるなんて…。人間って不思議だ。頭で考えただけだとロクな答えが見つからなかったけれど、実際に体験したあとだと昔の自分には出せない答えが見つかるようになる。根本は同じ人間なのに、まるで違う人格も共存しているみたいだ。

 

自分のことを、いくつになっても中身は中高生の頃のままで情けない…なんて思っていたけれど、ちゃんと中身も成長しているのだなと思ってちょっと安心した。こうやってこれからもいろんな経験を積んで成長していくのだろう。

 

人生の前半は、主に両親とバレエからいろいろなことを教えられ、経験させてもらった。これからの私の人生は、夫から教えられること、経験させてもらうことの割合が今よりもどんどん増えていく。夫と一緒になったことを後悔したことは一瞬もない。私も夫にとってそういう存在でありたい。