ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

NOと言えなかった過去の自分を振り返る

ふたり暮らし。NOと言えなかった過去の自分を振り返る。

八方美人と言われた学生時代

私は昔から自分の意見を言うのが苦手だ。友達と口喧嘩に発展しそうになると黙ってしまう。でも決して気が弱くておとなしい子だったわけではない。表面上は誰とでも仲良くできるタイプだったので友達は多かった。

 

いろんな子と話していると、いろんな価値観や考えを知ることになる。私自身がブレない価値観を持っていればよかったのだけれど、人の意見にとても流されやすい性格だったため、その時に話している相手によって自分の意見が変わってしまうのが悩みだった。

 

ある時、クラスメイトに「葉月って八方美人だよね」と言われたことが、今でも大きなトラウマだ。

 

私は見た目がきつそうに見えるので初対面では敬遠されがちな反面、話してみると「あれ?意外と仲良くなれそう」という印象を与えるらしい。それなのに、いざ親しくしてみるといつまでたっても本音で話しているように感じられないので、「何考えてるのかわからない」となるそうだ。
(高2でとても仲良くしていた子に言われた言葉だ。)

 

自分の意見を押し通す必要に迫られたバレエ教師時代

バレエ教師というのはバレエだけを教えていればいいというわけではない。世の中の教師という仕事のすべてがそうであるように、教える時間以外の雑務のほうがはるかに多かった。その雑務のひとつに、「生徒さんや保護者からの要望を聞く」というのがあった。

 

当然のことながら、全員の要望を汲んでいたら教室はまわらない。でも話を聞いていると、それぞれにもっともな理由や事情があるのがわかり、私は押しに弱かった。まだ若かったせいもあってか、子どもたちの親御さんからは若干舐められており、「強引に押したらいけそう(自分の思い通りにしてもらえそう)」と思われていたのだろう。それはもうびっくりするようなご意見をたくさん頂戴した。

 

私が自分の意見をしっかり持ち、できないことはきっぱりと断らないと子ども達のレッスンに支障が出る。ある時から相容れないと思った意見は丁寧に跳ねのけるようにした。人の意見に流されやすい私だったけれど、バレエに関してだけは強い信念があったのだ。

 

私に強い信念があると、当然離れていく人もいた。暴言をはいて辞めていった人もいれば、周りに根回しして集団でやめようと画策していたような人もいた。そのたびに最初はいちいち気に病んでいたけれど、結果的に残ってくれた生徒さん達はいい人たちばかりになり、子ども達が中高生になる頃には、心から信頼できる生徒さんと保護者の方に囲まれ、とても楽しく幸せにレッスンをすることができた。

 

大人になり、「夫」という免罪符を手に入れた

主婦という立場は本当に便利だ。面と向かって断りにくいことでも、「夫の仕事が~」「夫に相談してから~」と言えばたいていのことは乗り切れる。夫は夫で、「嫁がうるさくて~」とか、「嫁がこわくて~」とか言っていろいろ断っているのだろう。笑
(実際には、自分のことを決めるのにお互い相談なんてしない。)

 

 

学生時代は断ることができなかった私だけれど、大人になってからはこの免罪符のおかげでずいぶん楽になった。

 

そして最近では、年齢を重ねたせいか、先生という立場じゃなくなったせいか、あるいはその両方か、昔にくらべて人からどう思われるか?ということがあまり気にならなくなったように思う。自分(と夫)の快適さがなによりも優先で一番大切なことだという当たり前のことが、ようやく堂々と表に出せるようになった。

 

若かりし日の自分に、「時にはブラックな本音も見せろ」と言ってあげたい。