ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

私流の人付き合い

ふたり暮らし。私流の人付き合い。

友達と親密になれなかった学生時代

私には、人と親密になりかけると息苦しくなって離れてしまうという悪い癖がある。その癖は小学生時代からあり、とくに仲違いをしたわけでもないのに「特定の仲良しさん」がころころ変わるタイプだった。

 

そんな私でも、当時は「親友」というものにとても憧れがあり、新しく仲良くなった子とは「今度こそ親友になろう!」と意気込んで付き合い始める。それなのに、その子との距離が縮まれば縮まるほど、私は心の扉を閉ざしてしまう。友達との喧嘩もほとんど経験がない。

 

私は誰かと言い争ったり、自分の意見を言ったりするのが非常に苦手だ。もめるくらいなら自分が我慢するほうが楽、と考えるタイプで、高校時代には仲良しだった子に「何考えてるのかわかんない」と振られた(?)こともある。

 

あまり認めたくないことだけれど、これは私がひとりっ子だということが大いに関係しているのかもしれない。親以外の誰かと深く関わる(わかり合う)という経験が極端に少ないのだ。さらに、私は幼い頃からお絵描きや読書が好きなタイプだったため、ひとりきりで自分の世界に浸るのが何よりも至福の時間だった。

 

大遅刻してきた彼氏を責めなかった

他人と親密になることが苦手だったくせに、10代の頃は彼氏がいた。断るのが苦手だったので、告白されたらよっぽど嫌な相手でなければとりあえず付き合い、自然消滅を狙うという最低な女だったのだ。

 

一度、彼氏が寝過ごし、待ち合わせに2時間以上も遅刻してきたことがあった。30分遅れた時点で、メールなり電話なりするのが普通だと思うのだけれど、私は連絡しなかった。マックで本を読みながら、「このまま来ないほうが読書がはかどるな〜」なんて考えていた。

 

彼氏は真っ青な顔で飛んできた。私から何も連絡がなかったことで、私がよっぽど怒っていると思ったようだ。その日は何度も何度もしつこいぐらい謝られた。私はその度に「べつに大丈夫だよ〜。本読んでたし」と答えていたのだけれど、とうとう彼氏に「…それって、俺に会いたくなかったってこと?」と訊かれてしまった。
(その後の展開はご想像の通りだ。)

 

私が心の扉を開け放ち、親密な関係になれた相手は夫だけ。夫と出会っていなければ、私は結婚なんてしていなかっただろうし、他者と深く関わるという経験はできないままだった。

 

期間限定のつきあいは心地いい

職場の人付き合い、ご近所付き合い、ママ友付き合い、親戚づきあい…


大人になると、長年付き合っていかなければならない人が増える。これが私はどうにも苦手だ。バレエ教師をしていた15年間は、この人間関係に大いに悩まされた。子ども達のことは大好きで大切に思っていたけれど、子ども達の後ろにはもれなく保護者がいる。保護者の方々と長年上手くやっていかなければならないということが、私には大きなストレスだった。

 

現在私は飲食店で働いていて、土日と遅番のシフトに入っている。そうなると一緒に働くメンバーは必然的に学生になるため、「卒業まで」という期間限定での付き合いになる。それに加えて、夫の職場は転勤があるので、私自身が同じ職場に長年勤めることはほとんどない。

 

期間限定と割り切ると、人付き合いはとても楽に感じる。

 

おしゃべりすること自体は好きなほうなので、自分で「ここまで」と決めている範囲までは自己開示してラフな気持ちで話をすることができるし、相手は世代の違う私と距離をつめようなんて思いもしないだろう、ということが逆に私を解放的にさせてくれる。

こういうタイプの人を除けば…↓

asukaze827.hatenablog.com

 

 

それが私なんだ、と開き直った今

若い頃は、自分の性格に悩んでいた。友達と深く付き合えないということに大きなコンプレックスがあった。

 

でも今は、それが自分という人間なんだと納得している。表面的には誰とでもそこそこ上手くやれるタイプだし、日常生活で困ることはない。むしろ、大人の世界では表面的な付き合いさえ上手くできればそれで良し!とさえ思う。

 

人が幸福を感じるためにもっとも大切なものは、お金でも仕事でも美貌でもなく、「信頼し合える人間関係を構築すること」なのだそう。これを最初に知った時はちょっと落ち込んだ。でも、よく考えれば、これはなにも大勢の友人や仕事仲間のことだけを指しているわけではない。

 

世界にただひとり、夫と心から信頼し合える関係を築けているなら、それで十分。私が今幸せなのが何よりの根拠だと思う。

 

生き方は人それぞれ。私は今のままでもいいんだ。やっとそう思えるようになった。