ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

鏡は先に笑わない

ふたり暮らし。鏡は先に笑わない。

人に心を開けない私が職場で陥ったこと

私は子どもの頃から他人に心を開けない性格なので、人と上っ面の付き合いしかできない。私のことを「親友」と言ってくれている友達にすら、心を開けていないと自分で感じる。

 

とは言っても、その子はものすごくいい子なので、長い付き合いの中でトラブルになったこともないし、「こういうところが嫌だな…」と思ったこともない。その子が人の愚痴を言うのを聞いたことがないため、(上っ面でも本心でも)愚痴に共感する必要がなく、私にとってはもっとも無理せずに付き合える相手であり、尊敬できる友達でもある。

その子が私にすべてをさらけ出してくれているとは思っていないけれど、これだけ長い付き合いで人の愚痴が出てこないというのは、その子は他人に対してすごく許容範囲が広いのだと思う。私は真逆で、普段から心の内で愚痴を言いまくっているタイプなので、私がもしその子に心を開いて本音で話していたら、その子は私を親友だなんて言わなかったと思う。
(親友の定義は人それぞれかもしれないけれど。)

 

私は内心では愚痴ばっかり言っているくせに、それを外に出すことができないため、「共感することで成り立つ関係」が築きにくいのだ。とくに大人になると、多くの同じ時間を共有していた学生時代の友人たちと違って、共通の話題が非常に少ない。だからお互いの共通項として、同じ職場の誰かの愚痴が話題に上がるのは、ある意味仕方のないことかもしれない。

 

私は今、職場で愚痴の対象にされている。

 

職場に、もう10年以上勤めているパートのAさんがいる。表向きは店長に次ぐNo.2の立場だけれど、実質No.1の存在と言ってもいい。飲食店は社員の異動が多いため、長年働いているパートさんがその店の実権を握っているというのはよくあることである。

 

Aさんのほかにもうひとり、フルタイムで働くBさんというフリーターの若い女性がいて、私が学生さん以外で一緒のシフトになるのは主にこのふたりだ。

 

自分では当たり障りなく上手くやってきたつもりである。子育てを終えたAさんとまだ若いBさんとは、年代も境遇もまったく違うので、同年代の主婦同士よりは私にとって付き合いやすい相手だった。でもどうやらAさんにとっては違ったようである。

 

「Aさんが、葉月さんのこうこうこういうところに腹を立てている」ということを、先日Bさんから聞かされた。

 

言われた内容に自分でも心あたりがあったので、自分ではAさんを不快にさせるつもりはなかったけれど、不快に思われていたなら申し訳ないことをしてしまったと思った。でも、Aさんに直接言われたわけではないので、こちらからその話を切り出して謝罪したほうがいいのかわからない。Bさんがどういうつもりで私に報告してきたのかを考えるのも面倒だし、そのことでAさんとBさんの板挟みに合う羽目になるのもごめんである。

 

Aさんの性格的に、私のことはBさん以外の平日の早番パートさんたちにも話しているだろう。なんの関わりもない人たちとはいえ、愚痴を言われていると知るのは嬉しいものではない。

 

共通の話題がない人との付き合い

Aさんに限らずだが、そもそも私は職場の人と共通の話題がほとんどない。私はテレビも見ないし芸能ニュースにも疎い。話題の映画もドラマもアニメも全然知らない上に、自分の趣味とか好きなことについて職場の人に話すのが好きじゃないので、当たり障りのない話題というのを持ち合わせていないのである。

 

それでも学生バイトの子たちが相手ならとくに困らない。学生さんはどちらかというと聞きたがりではなく話したがりだし、学校の話や家族の話、脱毛の話(笑)、友人関係の悩みなどは過去に自分も通ってきた道なので、共感して聞くことができるからだ。

 

でも大人同士だと困る。子どももおらず、テレビやニュースも見ず、姑に不満もなく、共通の趣味などもないとなると、Aさんにとって私は付き合いづらい相手なのだろう。Aさんがテレビの話を振ってきて、私がその話題に乗れなかったために、つまらなさそうな反応を返されたことが何度もあるし、Bさんに至っては、「いつもお家で何してるんですか?(趣味とかあるんですか?)」と訊かれた時にうまく答えられず、適当にはぐらかしてしまった記憶もある。

 

だからもともと良く思われていなかったのだ。そこに今回の出来事が重なったために、Aさんの不満があふれ出したのだろう。共通項の少ない大人同士の付き合いで、私の愚痴という共通項ができたのだから、話題にしないはずがないし、これまでに何回もべつの人の愚痴を言い合っているのを見たことがある。それが私の番になったということだ。 自分で蒔いた種なので仕方ない。

 

今まではこういうことになる前に、上手い具合に転勤があった。短期間の期間限定の付き合いだったため、職場の人と親しくならなくても困らなかった。でも今の職場はもう5年目だ。さすがに自己開示しなさすぎと思われているのだろうし、それがお高くとまっているように見えるのかもしれない。

 

相手の嫌なところは自分の中にもある

職場で嫌われたらどうしたらいいのかなと思い、ググっていたら、こんな言葉が出てきた。

 

「相手のことを嫌だな、苦手だなと思うのは、自分の中にも同じものを抱えているからである。対人関係はいつもうつし鏡。そして鏡は先に笑わない」

 

そうなの…か?ちょっとすんなり素直には受け入れがたい言葉である。でも、落ち着いて考えてみたら、ほんとにその通りだと思うようになった。

 

私は普段からAさんのことを、「テレビの話と人の噂話しかしないつまらない人だな」と思っていたし、「仕事中にやたらと無駄話したくないんだよな…」とも思っていた。そしてBさんのことは、「この人若いのに詮索激しいなぁ。あんまり距離詰めてほしくないのに…」と思っていた。

 

つまり、私のほうも最初からこのふたりに対していい印象を持っていなかったし、「あまり話しかけてほしくない」と思っていたのである。今の状態は、その願いが叶った状態といえる。

 

私にとってこのふたりが「話していてつまらない・どちらかというと不快」であるように、ふたりから見た私も同じだったのだ。

 

相手と打ち解けるためには、まず自分から心を開かなくてはいけないし、自分から笑顔にならなければいけない。英語でもgive&takeというではないか。まず自分が先に与えなければ、相手からも受け取ることはできないのだ。

 

ふんふんなるほどね…と納得はしたものの、だからといって、「じゃあ自分から心を開いてみるか」とはならないのがこの私という人間である。

 

仕事はやりにくくなってしまったけれど、暇な時間におしゃべりしがちな平日のシフトを少し減らして、無駄口たたく暇もない忙しい土日のみでしばらく様子を見てみようと思う。