ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

慎重で疑り深くあること

ふたり暮らし。慎重で疑り深くあること。

薬剤師の目の前で薬の検索をする患者

前回の記事の医療漫画で、もうひとつ印象的なエピソードがあった。

 

インフルエンザに罹りタミフルを処方された患者が、スマホでネットの記事を薬剤師に見せながら、「タミフルは異常行動を誘発するから怖い」と言って処方薬の変更を求めるのだ。

 

窓口で応対していた薬剤師は、「なんで目の前にいる薬剤師の言葉より、ネットの記事を鵜呑みにするんだよ…」とやるせない憤りを感じてしまう。

 

べつの薬剤師の助けもあって、「インフルエンザに罹ると、服薬の有無や薬の種類には関係なく、異常行動を起こすおそれがある」ということを理解してもらい、そのエピソードは平和的解決に向かったのだけれど、これを読んでいて、私はこの患者さんの気持ちがわかるな…と思ってしまった。

 

私もこの漫画を読むまで、インフルエンザの異常行動はタミフルによるものだと間違って覚えていた。だから、もし私がインフルで受診してタミフルを処方されたとしたら、薬剤師さんに食ってかかったりはしないけれども、内心では不信感を抱いていたかもしれない。

 

習う先生によって違ったアドバイス

私が通っていたバレエ教室では、毎年夏休みになると外国人教師を招いたワークショップが開かれていた。レッスンの内容自体は普段のレッスンと特別違うわけではなかったのだけれど、先生のアドバイスや注意の内容が、いつもの先生からされる注意と真逆だったりして、混乱することがよくあった。

 

それは私だけでなく、ほかの子も同じだったようで、「普段はこう言われるのに、ワークショップではこう言われたんだよねぇ…」と、更衣室で話題にのぼることもあった。

 

あの頃は、スマホどころか、そもそもインターネット自体が一般的ではなかった時代なので、疑問に思っても自分で調べるということができなかった。先生に訊けば?と思われそうだけれど、「先生はいつもこうおっしゃっていますが、ワークショップではこう言われました」なんて、とてもじゃないけど言えなかった。

 

結局、どちらを信じたらいいのかよくわからないままレッスンを続けていたのだけれど、大人になり、自分が指導する立場になると、この疑問は解決した。

 

バレエにはいくつかのメソッドがあり、さらにはバレエ解剖学という、ダンサーが怪我なく安全に踊り続けるための解剖学というものがある。

 

ある教師は、バレエ解剖学に則って「安全に、正しく身体を使うこと」に重きを置いた指導をし、その一方でべつの教師は、バレエ解剖学からは若干外れるけれども、「そのダンサーがより美しく見える身体の使い方」に重きを置いた指導をしたりもする。

 

もしくは、同じひとりの教師が、生徒によってまったく違うアドバイスをすることもある。

 

バレエの代表的なポーズである、アラベスクひとつとっても、教師とダンサーとメソッドの数だけ無数にアドバイスが存在し、その中には、一見真逆とも思えるアドバイスというのも存在するのだ。

 

たったひとつ、教師全員に共通していることは、「そのダンサー(生徒さん)を、良くしたい」という思いである。そのために、様々な手段や考えを取り入れてレッスンをつけている。

 

 

慎重で疑り深いことは悪いことばかりではない

その道のプロの立場からしたらやっかいな存在かもしれないけれど、プロの言うことを鵜呑みにしない人というのは、必要な存在だと思う。

 

漫画内でも、「薬剤師の言うことを信じてくれない人がいる」という事実があったからこそ、インフルエンザの詳細についてもっと周知させようという動きが出てきたのだ。

 

バレエだって、「いつもと違う注意をされた理由」を先生に尋ねることができていれば、私はもっと早く上達できたかもしれないし、先生側だって生徒に説明する機会を持てたはずである。

 

「その道のプロがこう言ってるんだから黙って従えばいい」と考えるのは、まさしく思考停止している状態だ。自分なりに調べ、考えていることを勇気を持って相手に打ち明ければ、その事柄についてもっと深く知ることができるかもしれない。


大切なことは、お互いに相手の言葉に素直に耳を傾けることである。最終的に相手の意見を受け入れる・受け入れないは別として、最初から相手の意見を拒否してしまうと、せっかくの知識を深められるチャンスを逃してしまう。

 

医療従事者は患者を良くしようと思ってくれているし、バレエ教師は生徒を良くしようと思っている。ひとりの患者(生徒)に対する気持ちはみんな同じなのだということを忘れてはいけないと、改めて思った。