ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

執着の無さと冷たさは表裏一体

ふたり暮らし。執着の無さと冷たさは表裏一体。

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執着と無縁の夫の母

夫の母は前しか向かない人だ。思い出に浸ったり、過去やものに執着することがない。↓

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私はそんな夫の母を素敵だなと思っているし、見習いたいなと思うこともしばしばある。何よりも、私が夫の母を好きな理由は、自分の考えを他人に押しつけないからだ。何事においても、「人は人。自分は自分」と、そのスタイルを貫いている。そこを人としてとても尊敬している。

 

ただ、義母のその執着の無さは、反面、人としてとても冷たいのかもしれない、と思ってしまうこともある。

 

実母に関心のない義母

先日、夫の母方のお祖母さんに初めてお会いした。お祖母さんはもうじき99歳(!)。数年前からグループホームで暮らしている。

 

日頃、親戚付き合いを一切求めてこない夫の母がめずらしく、「おばあちゃん最近弱ってきたから、顔見せてあげて」と言ってきたので、夫の母と夫と私の3人で会いに行くことになった。

 

夫の母からは、「もう耳が遠くて会話ができないから、ノートとペンで筆談するの」と聞いていたのだけれど、実際にお会いしたお祖母さんは、ちゃんとこちらの声が聞こえているようだった。ただ、聞こえたことに対しての反応が遅く、しゃべるのに時間がかかるだけのようだ。

 

夫の母は、お祖母さんが訊かれたことをゆっくり考えている様子を「耳が遠い」と思っているらしく、何度も同じことを大きな声で耳元で言ったり、ノートに書いて見せたりしていた。

 

そのふたりの様子を見て、「あれ?」と思った。お義母さん、お祖母さんの様子をちゃんと見ていないのかな?と。

 

その疑問は、すぐに確信に変わった。

 

夫の母は、「おばあちゃん、りんごが好きなの」と言い、持参したりんごを見せながらお祖母さんに「食べる?」と訊いた。お祖母さんは「おいしそうね」と小さな声で嬉しそうに答えたのだけれど、夫の母がむき終わったりんごは、普段よく私たちが食べるものと同じ形だった。うさぎの耳がない状態といえばわかりやすいだろうか。

 

それを一切れフォークにさして、ハイ!とお祖母さんに持たせた夫の母。まれに、100歳超えても自分の歯で固いものをかじれる人もいるが、お祖母さんは明らかに入れ歯だ。口も大きく開かない。渡された大きなりんごをかじれるとはとても思えなかった。

 

そんなことはお会いしてから10分足らずで私も夫も気づいていたのに、娘であるはずの夫の母は気づかないのだろうか。というか、いつもはどうしているのだろう?

 

見かねた夫が「もっと小さく切ってあげて」と言い、最初の半分の大きさに切ったりんごを再び手渡す夫の母。私は「いやいや、もっと薄くしてあげないと!」と思ったが言えずにいた。

 

お祖母さんはりんごをいったん口に入れたものの、すぐに吐き出した。そりゃそうだ。この様子だと、もしかしたらすりおろさないと食べられないのかもしれない。

 

夫の母は、「あら。無理?いつも食事はどうしてるのかしら?」と不思議そうにしていて、ホームでの様子について何も知らないのだということがわかった。
(いつも兄夫婦についてくるだけなのよーと言っていたが、本当に「ついてくるだけ」なのかもしれない。)

 

じゃあメロンはどう?となり、ひとくちサイズに切ったメロンを口に入れたお祖母さん。これもすぐに口から出していた。やはり、もっと潰して柔らかくした状態じゃないと食べられないのだ。

 

私が「食堂へ行ってすりおろし器を借りてきましょうか?」と訊くと、「うーん。そうねぇ。どうかしらねぇ…借りれるのかしらねぇ」と全然乗り気じゃない。結局そこで話題がひ孫の話に移ってしまい、りんごとメロンは放置されることに。

 

しばらく親戚の子どもの話で盛り上がったあと、義母が「(このあと予定あるから)そろそろ行かないと! 持ち込んだ食べ物は持ち帰らなくちゃいけないから、あなたたち食べちゃって。」と言い、私と夫で平らげる羽目になった。お祖母さんがりんごが好きだという話が本当なら、あまりにも酷な光景である。

 

お祖母さんは膝の筋力が低下していて、自分で立ち上がることができない。99歳なら全然めずらしいことではないと思うのだけれど、夫の母は、「こうなったのも自業自得よね。それまでの生き方が身体に出てくるのよ。おばあちゃん70過ぎたあたりから全然動かなくなったもの」と言っていて、とても義母らしいなと思った。

 

現在70過ぎの義母は、慣れ親しんだ都心での生活を捨て、昨年わざわざエレベーターのない田舎の不便なマンションに引っ越し、毎日ランニングやウォーキング、ストレッチと体操を欠かさないストイックな生活を好んで送っている。「自分もいつか弱って立ち上がれなくなる日が来るかも」なんてことは、本人はまったく心配していないのだろう。

 

自分にストイックな義母は、ストイックじゃない人のことが理解できない。というか、他人に全然興味がないのだ。それがたとえ自分の家族のことであっても。

 

お祖母さんの耳が遠いと思い込んでいる義母は、「こんなところで暮らしたくないわねぇ。ベッドの隣がトイレなんてねぇ」と悪気なく言い、私と夫は「いい施設だよね」とか「新しくて綺麗だし」などと慌ててフォローした。

 

来てからわずか1時間ちょっと。帰り際、お祖母さんをひとり部屋に残していくことに私は胸がとても痛んだ。これは私が他人であり、介護の当事者じゃないからこその感情だろう。それはよくわかっている。

 

でもでも…それにしたって夫の母は他人事過ぎるのではないだろうか。

 

長年の確執

これまでに夫や夫の母から聞いてきた話をつなぎ合わせると、お祖母さんは昔、とてもきつい性格だったようだ。

 

お祖母さんは長男夫婦と長年同居していたのだけれど、ずっとお嫁さんイビリをしていたそう。それでもお嫁さんはずっとお祖母さんの面倒を見ていた。義母の様子から察するに、きっと今でも足しげくホームに通って身の回りのお世話をしているのはお嫁さんだ。私がもしお嫁さんの立場だったら、実の娘なのに他人事みたいな顔をしている義母に、穏やかならぬ感情を抱いていると思う。

 

 お祖母さんと夫の母は元々そりが合わず、あまり仲の良い親子ではなかったらしい。義母は自分でも父親っ子だったと言っているし、他人には見えない複雑な母娘関係があるのだ。だから、今のお祖母さんに対する態度だけを見て、夫の母を冷たいと思ってしまうのは早計だし、私のほうが間違っている。

 

そう頭ではわかっているものの、年老いて小さく穏やかになってしまったお祖母さんに、少しでも興味や関心を持ち、寄り添う気持ちがあれば、もっと違う接し方ができるのではないかな…とも考えてしまう。

 

いつもは母親のことを「ほんと執着がないよね。笑」と笑うだけの夫も、「執着の無さと冷たさは表裏一体なのかもね…」と家に帰ってから呟いていたので、夫も私と同じことを感じていたのだ。

 

夫の母にとっては、自分以外のすべてが「他人事」なのである。薄々わかってはいたことだけれど、こうやって目の当たりにすると、普段は義母を尊敬している私も心がモヤつく。

 

ものにも思い出にも執着し、娘に対してはもちろんのこと、他人にも興味関心のありまくる私の母は、時に疎ましく感じることもあるけれど、人としてはとても温かい人なのだということを、改めて知ることができた出来事だった。