ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

「すぎたことは箱の中」

ふたり暮らし。「すぎたことは箱の中」。

「すぎたことは箱の中」

私は数年前まで、自分は思い出を大切にするタイプだと思っていた。

 

私の両親は思い出をとても大切にするタイプで、とくに父は私に関する物ならなんでも保管しておく人だ。そして折に触れてアルバムを見返し、そこから昔の写真をひっぱり出してはフレームに入れて飾っている。
(だから私の実家には、そこら中にあらゆる年齢の私の写真が飾られている。)

 

親というのはみんなそんなものかと思っていた私は、大人になって夫の母に出会い、その生き方を知って人生が大きく変わった。

 

夫の母は、ひとことで言えば、「つねに前を向いている人」だ。

 

「過去には興味がない。私の人生はいつも今これから」が口癖で、70代の現在もつねに変化を求めて動き続けている。つい最近は、便利な都会暮らしを捨て、縁もゆかりもない海のそばの田舎町に引っ越した。その前は突然、「ジョージア(国)に住むのはどう思う?」などと言い出し、こんなご時世でも義母ならほんとにやりかねない、と思った。

 

夫の母は、思い出にこだわらない。でも、思い出をないがしろにしているわけではなく、むしろ大切に「箱の中」に入れているのだ。

 

「すぎたことは箱の中」。これは私が一番好きな小説「神様のボート(江國香織 著)」に出てくる言葉だ。


ある理由で引越しをし続ける母親とその娘。物心がつき、初めてのお友達と離れるのが嫌だと泣く娘に、母親は言う。
「すぎたことはみんな箱の中に入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?」

 

夫の母がこの小説を知っているのかどうかは知らないけれど、義母の生き方はこの小説に出てくる母親に少し似ている。違うところは、小説の母親は「その土地に馴染んでしまうと身動きが取れなくなる」と、その場に留まることを恐れているのに対し、義母は「人は成長する生き物だ」という信念のもと、その場に留まることを良しとしない人だということだ。

 

「大切」と「執着」は似ている

私は、義母の生き方を知り、またここ10年ほどでいろいろなことも経験し、今までの自分は、「思い出を大切にしていた」のではなく、「思い出に執着していた」のだと気づいた。

 

思い出はとても大切なものだけれど、それに執着してしまうのはいいこととは言えない。いくら過去の記憶をたぐり寄せ続けても、過去にあった出来事はもう二度と経験できないのだし、その思い出に登場する、「その時のその人」にはもう二度と会えないのだから。

 

とくに思い出に関する品々は、思い出に執着心を植え付けるのに大いに役立ってしまう。思い出の品々を片っ端から大切に保管し続けていけば、物理的なスペース以外に、心や脳内のスペースも大量に埋まることになるだろう。

 

70代の義母が「人生は今これから」と言っているのに、まだ40歳の私が「人生折り返し地点にきたのかぁ」なんて言っている場合ではない。

 

これから出会うはずの物、出来事、人々、夢、チャンス。そういうものたちを受け入れるために、つねに自分のキャパは広く保っておきたい。