ふたり暮らし。ふたりで生きていく。
しあわせだった子ども時代
私に子どもはいないけれど、親から子への愛情がどれほどに深く尊いものかということを、私は身をもって知っている。私のためであれば、私の両親は迷いなく自らの命を差し出すだろう、という確信があるし、子どもが困っていたら必ず手をさしのべてくれるのが親というものなのだと思っている。これはごく普通の愛情深い家庭で育った人なら、誰にでも共感してもらえることだろう。
それなのに、大人になった私は「親が自分にしてくれたことを、次は自分の子どもに…」とは思えなかった。なんでかは自分でもわからない。両親や夫にとって、いつまでも自分が一番の存在でありたいという、ただのわがままなのかもしれない。
子どもを持たないことを決めた20代後半
バレエの先生なんてものをしていたため、よく勘違いされがちなのだけれど、私はとくに子ども好きというわけではない。かといって嫌いなわけでもない。自分の生徒さんは大切で大好きだったし、躾のされていないよその悪ガキは大嫌いだ。つまり好きでも嫌いでもなく、ふつう。だから10代の頃は、希望とか夢とかではなく、ただ漠然と「結婚したらたぶん子どもを産むのだろうな」と思っていた。
ところが、いざ大人になると子どもを持つことに積極的になれなかった。
子どもの頃から面倒なことや煩わしいことが大の苦手だった私は、「子どもというのは、まさにその面倒なことや煩わしいことを私の人生に持ち込む存在ではないか」と思うようになってしまった。
(子どもがそれ以上の幸せを与えてくれる存在だというのは、理解している。)
夫のことが好きすぎて、ふたりの間には何もいらないという気持ちも強かった。
夫婦で話し合い、この先も子どもを持たないと決めた時、夫はすぐに避妊手術することを決意してくれた。「万が一のこともあるから避妊手術は必要。女性側の手術は開腹手術で入院が必要だけど、男性側は日帰りでほんの少し切るだけらしいから」と、いろいろリサーチして教えてくれたのだ。
不妊治療などの性に関することになると、男性は治療も診察もパートナーに丸投げで、自分は他人事のような言動を取る人が多いと見聞きしていたので、夫の行動には正直驚いた。
手術は夫のリサーチ通り、日帰りで終了した。腕がいいと評判の個人病院での処置だったとはいえ、けっこう痛かったらしい。それなのに私に恨みがましいことなどひとことも言わず、「痛いのが葉月ちゃんじゃなくてよかった」と言い続けてくれた夫。
よく、産後の妻が夫に優しくされたことは、その先何度でも思い出しては感謝する、と言われているけれど(その逆もしかり)、私にとってはこの一件がそれだ。この時のことを思い出すたびに、夫への感謝の気持ちがあふれてきて止まらない。
私の両親の反応
私たち夫婦が子どもを持たないつもりだと話した時、父は「…ひとりはいたほうがいい」と難色を示したが、母のほうは、「あなたたちふたりで決めたことならそれが一番!」と言ってくれた。
私はひとりっこなので、私が子どもを産まなければ両親は孫の顔を見ることができない。子ども好きな父はそれが残念だったのだろうし、「子どもを産まなくて、将来自分たちの介護やら何やらをどうするつもりなんだ」と心配してくれたのだと思う。
両親それぞれの愛情を感じつつも、子どもの人生をまるごと受け入れる覚悟というものが、父親と母親とでは違うんだな…と思ったできごとだった。
夫の両親の反応
夫側の両親には、夫が何かの折に話してくれたようだ。義父は昔ながらの昭和のお父さんを絵に描いたような人なので、もしかしたら「長男が子どもを持たないなんて…!」と思っていたかもしれないけれど、優しい人なので口に出せなかったのかもしれない。
義母は、とくに驚きもせず、「葉月ちゃんの人生なんだから、葉月ちゃんの好きなように生きたらいいのよ」と言ってくれたそうだ。息子である夫ではなく、葉月ちゃんの人生なんだから…と言ってくれたところが、義母らしいなと思った。子どもを産むと、男性以上に女性側の人生が変わってしまうということを、義母は身をもって知っているからこそ、私の気持ちを優先して考えてくれるのだ。
「子どもはいない」と答えるのが難しい
多様性の時代とは言われつつも、まだまだ子どものいない夫婦はかなりの少数派だ。若い世代ならまだしも、私たちの世代では子どもがいることが普通なので、初対面の人には子どもがいること前提で話をされることが多い。
私が「子どもはいない」と言った時の相手の反応は、「あ……ごめんなさい」が多いのだけれど、これにいつも困ってしまう。相手にお子さんがいる場合、「謝る必要ないですよ。子どもはほしくないので」とはとても言えないし、かといって「いえ、いいんです」などと答えると、「悪いことを訊いてしまった…」と相手に気を使わせてしまう。
そういうやりとりが面倒で、私は土日や遅番で働くようになった。学生さん相手だと余計な気を使い合わなくて済むからだ。
(夫の休みが平日にもある、というのもあるけれど。)
子どもの有無を訊かれた時に、お互いに気を使わないような、なにか上手い言い回しはないものだろうか。
将来の不安
母がたまに言う。「私たちには葉月がいるけれど、葉月たちが歳をとって困った時は、どうすればいいのかしら」
スマホの操作がわからない時、プリンターとパソコンのつなぎ方がわからない時、私のスマホを見て銀行アプリの存在を知った時などに思うらしい。
「教えてくれる人がそばにいるといいんだけど」
母の世代からすれば心配なのかもしれないけれど、Google先生もいることだし、世の中は年々便利になっていくので、家族がいようがいまいが、その点で困ることはなにもないように思う。
ただ、歳をとって行動力や好奇心が少なくなってくると、一気に世の中から置き去りにされていきそうな気がするので、流行りを追っかけるという意味ではなく、新しく生まれ変わり続ける世の中を好奇心を持って楽しみ、新しいことに挑戦する行動力はいつまでも失わずにいたいなと思う。