ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

断捨離してよかったこと。

ふたり暮らし。断捨離してよかったこと。

安心して留守にできること

前回の記事の続きみたいになるけれど、今回の帰省で、私はあらためて「断捨離してよかった!」と思った。

 

というのも、私が実家に帰っている間に、夫がエアコンのクリーニングを頼んでくれていたのだ。帰省する数日前に、たまたまこの地域を一気に回ってくれるとかでお安くなるというチラシを見て、「近々申し込もう」と言っていたのだけれど、私は夫がまさか私の留守中に業者さんを呼ぶとは思わず、いつも通りに掃除と片づけをしてから家を出た。

 

二日ぶりに自宅に戻ると、夫が「エアコンクリーニングしてもらっといたよ」とサラッと報告してきたのでびっくりした。と同時に、「家の中片付いててよかったー!」と心底思った。クリーニングするにあたって、多少の家具の移動が必要だったそうだけれど、家具の後ろも日々お掃除していたおかげで、動かした家具の裏から大量のホコリが出るという事態にならずにすんだようだ。

 

おまけに、フィルターの洗浄かなにかで、業者さんに「お風呂場をお借りします」と言われたそうで、昔の私なら「ぎゃー!業者さんお風呂場に入ったの!?」と恥ずかしくなっていたところだけれど、今はお風呂場の中も外もピカピカにしているため、いつ誰が入っても恥ずかしくない。

 

 

いつでも人が呼べる家

今回のことだけでなく、これまでにも何回か業者さんが自宅に来る機会があったけれど、いつでも私は慌てない。ガス点検の際も業者さんをキッチンに招き入れることにまったく抵抗がなかったし、マンションのネット回線工事でも、家中のどこでもどうぞ!とおおらかな気持ちでいることができた。

 

いつでも人が呼べる家にしておくことが目標ではないのだけれど、いつ誰が来ても慌てなくて済むというのはやっぱり心の余裕につながるものだ。ものが少ないと掃除も片付けも簡単なので、夫がそれらをすることもできる。業者さんの訪問予定に合わせて特別なことをする必要がない、というのはとても楽だ。

 

断捨離するのはほかの誰のためでもなく、自分自身のためである

私の最初の断捨離は半ば強制的なものだったけれど、その後に定期的に行ってきた断捨離はすべて自分の意志で行ってきた。

asukaze827.hatenablog.com

 

断捨離をして一番よかったことは、「生活に余裕ができたこと」である。

 

先述した業者さんの訪問だって、断捨離前の私だったら、業者さんから「この日に伺います」と言われたら、その日に向けて念入りに掃除をしたり片づけをしたりしなければいけない。散らかっている部屋を片付けるのは労力も必要だし、「あーもう!なんでこんな忙しい時間に来るの!?」なんて、業者さんを逆恨みしてしまったりする。当日、予定外の部屋にも入ると言われたらそこでまた大慌てだ。「まさかお風呂場にまで来るとは思ってなかった…!」と後悔しても遅い。

 

今は家事動線を邪魔されないので、家事そのものが楽になったし、食事の支度もシンプルそのものだ。冷蔵庫からいつのかわからない化石のようになった冷凍肉や溶けた野菜が出てくるなんてこともない。買いだめすることがないので、スーパーでのお買い物も毎回5分以内に終了する。

 

断捨離する前は、断捨離はただの片づけだと思っていたけれど、今は違う。断捨離は、自分が身軽に・気楽に・生きやすくするためのとても有効な手段だ。誰かのためにやるのではなく、自分自身のためにやる。だからこそ、他人に断捨離させることはとても難しい(というか、ほとんど不可能である)のだと思う。

 

自分自身が、「人生を良くしたい!」と本気で思わなければ、それは断捨離でなくただの片づけになってしまい、絶対にリバウンドする。

 

実家の両親にもこの気持ちよさを味わってほしいなと思うけれど、まあたぶん無理だろうな…とも思う。物を所有することで満たされているうちは、断捨離なんてする必要性を感じないだろう。かつての私がそうだったように。