ふたり暮らし

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好きなことを人生のどこに置くか

ふたり暮らし。好きなことを人生のどこに置くか。

仕事をやめて、やりがいがなくなることが不安だった

前回の記事でも書いたけれど、いくら好きなことを仕事にしたからとはいえ、「やりたいこと」よりも「やらなければならないこと」の量が上回ると、どんどん心が消耗していく。しかもそのさなかにいる時は自分でそのことに気づかないので、「自分で決めたことでしょ」とか、「あなたは恵まれてるよ」などという周囲の言葉から自分の心を守ることもできない。

 

いい学校に行って、いい会社に就職して、定年まで安定して(でもがむしゃらに)働いて、やりたいことは老後のお楽しみにしよう!という昭和の価値観はとっくに崩れ去り、現代は「好きなことや、やりがいのあることを仕事にしよう!」という風潮がある。

 

そのこと自体はすごくいいことだと思う。ただ、その「好きなこと」や「やりがいのあること」を仕事にできたとして、必ず幸せになれるか?というと決してそうではないということを、今の私は知っている。

 

どんな仕事にも言えることだけれど、やってみたら向いてなかったとか、思っていたよりもつらいことが多かったとか、その世界に飛び込んでみなければ見えなかったことというのはたくさんある。もともと好きでもない仕事であれば、悩みを打ち明けたら「転職してもいいんじゃない?」と言ってもらえることが多いけれど、好きなことを仕事にしていると、なかなかそうは言ってもらえない。

 

「好きなことを仕事にできる人なんて一握りなのに」
「贅沢な悩みで羨ましい」
「あなたは恵まれてる」

 

これまでに私が言われたり見聞きしてきた言葉だ。

 

夫の仕事の都合や、その他いろんなもののタイミングが重なり、「このままバレエ教師を続けていくのは難しいかも…」という状況になった時、私の決断は早かった。生徒さんたちには申し訳ないけれど、「よし、やめよう!」となんの迷いもなくそう思った。
(もちろん、後任の先生を手配したり別のお教室への移籍をサポートしたりと、できる限り責任を果たしてから辞めた。)

 

バレエ教師としてやりたかったことをやり切ったという気持ちもあったし、心が消耗しすぎていて、将来のビジョンが見えなくなっていたということもあり、「せっかくここまで続けてきたのに」というような気持ちは微塵も感じなかった。

 

とはいえ、ひとつだけ不安なこともあった。それは、「私の人生から、やりがいや生きがいが失われてしまうんじゃないか」ということだ。

 

やりがいとゆとりを天秤にかけたら

結論を言えば、私の不安は杞憂に過ぎなかった。バレエ教師はたしかにとてもやりがいのある仕事だったけれど、それが生活からなくなっても、楽しいことや生きがいはすぐにべつの形で目の前に現れるようになった。

 

最初は、新しい環境が新鮮で珍しいからだろうと思っていた。ところが、今の生活になってもう何年もたつのに、今でも日々楽しく生きがいを感じている。仕事とはまた違う部分でやりがいを持っているものもある。

 

これは私の持って生まれた性格(性質)だと思うのだけれど、「やりがい」と「ゆとり」を天秤にかけたら、「ゆとり」のほうがずっとずっと重いのだ。これは人によって様々だろう。「やりがい」が重い人、両者がイーブンな人、ほんのちょっとの差しかない人など、天秤の傾きは千差万別だと思う。

 

仕事と私生活とのバランスをワークライフバランスと呼ぶけれど、私は単語を逆に並べたい。ライフワークバランス。まず、私生活が先にあり、仕事は生活するお金を稼ぐためにする。ちなみにこれは夫も同じ考えだ。

 

好きなことを仕事にしてしまうと、心の逃げ場がなくなる。バレエを仕事にする前は、踊っている時間が最高に幸せだったのに、仕事にしてしまった後は、踊ることを純粋に楽しめなくなった。自分がレッスンを受けていても、自分のことよりも生徒さんのことが頭に浮かんでしまい、自分自身に100%集中できなくなってしまったのだ。

 

これと同じようなことを、プロの舞台で活躍するダンサーがインタビューで言っていたのを覚えている。「自分のためだけに舞台に立つことはもう二度とないんだと思うと、ジュニア(アマチュア)時代に戻りたくなる時がある」と。

 

プロとして活躍する人を心から尊敬している

バレエダンサーだけでなく、アーティストやスポーツ選手など、その道のプロとして活躍している人を、私は心から尊敬している。自分のためだけにそれをやるのではなく、自分を応援してくれている大勢の人たちのために、自分を奮い立たせてそれを続けていくこと。生半可な気持ちではできないことだと思う。

 

さくらももこさんのエッセイ「そういうふうにできている」でも、こんな内容のことが書いてあった。

妊娠中に一切の仕事をお休みしている間、100%自分自身のためだけに創作活動をして遊んで暮らした。

漫画家になる前は、ただ純粋に物を作ったり絵を描いたりすることが大好きだった。漫画家になってからというもの、描くことはすべて仕事になってしまい、描くことの喜びを忘れかけていた。創作が仕事となってしまった今の自分は、少し不幸なのかもしれない。

 

その一方で、こうも書いてあった。

創作以外の仕事をするということは自分にとっては最も苦痛なことなので、創作が仕事であることは幸せだということもわかっている。

仕事で創作する時は、たくさんの人に見て楽しんでもらえる作品にしようという向上心から生じる力が、素晴らしい効果を発揮してくれる。その力が出る時が嬉しくて、私はこの仕事をやっている。

 

このエッセイにはさくらももこさんが休職中に創作したものの写真が載っていて、どれもとても可愛くて素敵だった。商品として売れるかどうかを鑑みずに創る時間は、さくらさんにとってかけがえのないキラキラした時間だったそうだ。

 

さくらももこさんのエッセイはたくさん持っているけれど、このエッセイは「漫画家・さくらももこ」としての悩みや葛藤が書かれていて、心が疲れた時によく読んでいた。最近はめっきり読まなくなっていたので、今の生活が私にとって心穏やかな暮らしだということを改めて感じた。

 

好きなことを人生のどこに置くか。
とりあえず置いてみないとわからない。ひとつ言えることは、自分以外の人の声に耳を傾けていると病むよ、ということだ。