ふたり暮らし

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断捨離、ものを手放す勇気

ふたり暮らし。断捨離、ものを手放す勇気。

断捨離のきっかけは大家さんだった

世の中に断捨離という言葉が浸透してずいぶんたつ。私もこれまでに何度か断捨離をしてきたのだけれど、最初のきっかけになったのは、2LDKから1K(!)の物件に引っ越したことだった。

 

大家さんの事情で急遽引っ越しをしなければならなくなり、住み替えに提案されたのが1Kの物件だった。はじめは「まさかそんな…無理でしょ」と思ったのだけれど、次の転勤までの仮住まいだし、その物件が、狭いながらも機能的で暮らしやすそうだったため、思い切って入居することにした。

 

この時は不用品回収業者さんの力も借りて、それはもう大量のものや家具を処分した。当時の私はマキシマリストだったので、服も靴もバッグもアクセサリーも大量にあった。家具も大きなものから小さなものまでたくさんあったし、収納の中はいつもパンパンだった。

 

ものが多かったので掃除や手入れが行き届いておらず、退去の日に振り返って見た部屋の中は、昨日までそこに住んでいたとは思えないぐらい、あちこち荒れていた。予定外の引っ越しではあったけれど、あのまま大量のものに囲まれて暮らし続けていたら、今頃どうなっていたことか。そう考えると思わず身震いしてしまう。

 

なにより、これが通常の退去だったら高額の退去費用や修繕費がかかっていたと思うと、ものを多く所有するというのはコストパフォーマンスが悪すぎるのだと実感した。

 

断捨離のきっかけを与えてくれた大家さんには感謝しかない。
(お掃除が行き届いておらず、申し訳ありませんでした…)

 

その後も引っ越しに合わせて中規模な断捨離を繰り返してきた結果、驚くことに、1LDKで暮らす今の持ち物は、1Kで暮らしていた頃よりも断然少ない。
(家具は少し買い足したけれど。)

 

転勤族にありがちな、「未開封の段ボール」はひとつもなく、どこになにがあるのかすべて把握できている。服も靴もバッグもアクセサリーも少数精鋭。すべてが一軍のものたちだ。

 

思い出の品を手放す勇気をくれたのは、夫の母だった

1回目の断捨離で大量のものを処分したとはいえ、それでもまだ、1Kに住んでいた頃は今よりもずっとたくさんのものを持っていた。私が本当に断捨離に取り組み始めたのは、1Kから広めの1LDKに引っ越した時だ。

その少し前に夫の父が他界し、夫の母は、二人の子ども(夫と夫の妹)を育てた思い出深い自宅や家具をあっさりと売却して、単身で都心のマンションに引っ越して行った。その際、なんと十数冊にもおよぶ分厚い家族のアルバムを処分したのだ(!)。

 

ほとんどの荷物が運び出され、がらーんとした夫の実家で不用品にカテゴライズされたアルバムを目にした時、最初はびっくりして言葉が出なかった。何かの間違いかと思った。まさか母親が、家族の歴史そのものともいえるアルバムを処分するなんて思わなかったのだ。

 

「あなたたちがほしかったら持って行って。いらなかったらそこに置いておけば処分してもらえるから」
夫の母に言われ、私たちはいったんそれらのアルバムを持ち帰った。

 

夫の父がこまめに撮りためたスナップ写真。私の知らない子ども時代の夫と義妹の写真。データなんてない時代だ。1ページ1ページめくっていくと、義父が家族をとても愛していたことが伝わってきて、胸にこみあげるものがあった。夫も感慨深い様子で見入っていたように思う。

 

正直に言うと、その時の私は義母のことを冷たい人だと思ってしまった。
(実際には、義母はとてもおだやかで、いつも優しく私のことを気づかってくれる人だ。)

 

でもそれからしばらくして、私たちが引っ越すことになった時、あの時に持ち帰ったあのアルバムを、あれ以来一度も開いていないことに気づいた。部屋の隅に無造作に積まれているアルバムを目にした時、私と夫は「捨てようか…」と言い合った。

 

私の父はこの話を聞いた時、「ありえない。うちに持ってくればきれいに整理して保管しておいてあげたのに!」とあきれ返っていたけれど、私はともかく、夫のほうもまったく後悔はしていないようだった。考えてみたら、夫も持ち物がものすごく少ない人だ。夫の中には確実に義母のDNAが存在しているんだな、と感じる。

 

 

思い出は自分の中にあればそれでいい。私はそれを夫の母から教わった。ものがなくても思い出は消えない。過去が変えられないのと同じように、過ぎ去った出来事を失うことはないのだ。

 

ものを捨てることに、罪悪感は持たなくていい

ものを捨てるという行為は、慣れていないと結構むずかしい。まだ使えるものだと「もったいない」と思うし、人から贈られたものだと「くれた人に悪い」と思ってしまう。

 

でも、使わない物や気に入らない物を持っていても、誰もしあわせにはなれない。まだ使えるものを捨てるという痛みを味わうことで、その後は無駄なものを買わないようになるし、贈り物を捨てる痛みを味わうことで、自分が贈り物をする時は慎重に考えるようになる。

 

夫の母曰く、プレゼントは「ありがとう」と言って笑顔で受け取った時点で、その役割を終えているのだそう。だから罪悪感なんて感じる必要はない。ものを捨てたとしても、プレゼントしてくれた人の心遣いまでをも捨てることにはならないのだから。

 

 

ものを手放す勇気。
私はこれからも持ち続けていきたい。