ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

夫の母から学んだ、未来を恐れない気持ち

ふたり暮らし。夫の母から学んだ、未来を恐れない気持ち。

義母の辞書に「現状維持」という言葉はない

夫の母は決して振り返らない人だ。いつどんな時でも前を向いている。その言動は、時に周囲の人たちを驚かせたりもするけれど、「人は成長する生き物だ」という、一貫した信念のもと、自分の人生を勇敢に泳いでいる。

 

まだ義父が健在だった頃のこと。義母がいきなりイギリスに住むと言い出した。言い出してから実行するまではあっという間で、それまで料理なんてしたこともなかった義父をひとり日本に残し、単身イギリスへと旅立って行った。
(3年近く行っていたように思う。)

 

帰国すると、今度はカナダに住むと言い出し、これもまた本当に行った。
(カナダでは家具作りを学んでいたそうだ。)

 

そしてまた帰国すると、次は大学に行きたいと言い出し、都内のどこかの大学に聴講生として通いはじめた。
(医療に関する分野を学んでいたようだ。)

夫の話によると、義母は昔からとにかく新しいことを学ぶのが好きだったそうだ。英会話も、家事と育児のかたわらで独学でマスターしたのだという。60代半ばからはまったくの未経験でフルートを習い始めた(今ではだいぶ上手になったらしい)

 

最近では、便利な都心での暮らしを捨て、縁もゆかりもない海辺の田舎町にリゾートマンションを買って引っ越して行った。

 

同じ場所にとどまることができない人なのだ。その場で学ぶことに満足したら、軽やかに次の場所に飛んでいく。いつも気力が漲っている感じ。

 

義母が引っ越したリゾートマンションは、リノベーション済みとはいえ、バブル時代に建てられた古いマンションなので、エレベーターが無い。でも義母は、「エレベーターが無いって聞いて嬉しかった。だって使わない設備に管理費払いたくないから」と笑っていた。義母の部屋が4階だか5階だかは忘れたけれど、とにかくエレベーターがあっても最初から使う気はなかったらしい。
(義母は現在70代だ。)

 

この先、足腰が弱ったらどうしよう。転んで怪我でもしたらどうしよう。病気になったらどうしよう。という不安な気持ちは、義母には一切ない。「高齢になった時こそ、便利な都会が暮らしやすい」という世間の声は、「私に便利さは必要ないから」というセリフで一蹴し、まるで大学を卒業したての若者のように目を輝かせて新天地へ向かっていく。

 

義母の生き方を見ていると、勇気が湧く。未来はこんなに素晴らしいんだよ!今よりももっとずっと楽しくなるよ!と、その背中で教えてくれるのだ。それでいて、義母は私の生き方や考え方も尊重してくれるので、私は義母のようになりたいと思いながらも、「私は私のままでもいいんだ」という、相反した感情を自分の中に共存させることができる。

 

対照的なふたりの母

私は自分の両親のことが好きだし、二人とも愛しているけれども、客観的に見て、私の母はかなりネガティブなタイプだと思う。とても心配性で過保護、何に対しても否定的だし、すぐ悪い方向に考えるくせがある。他人の意見や評価にも簡単に流される人だ。

 

これは母が三姉妹の長女ということも大きく関係があるのかもしれない。年の離れた下の妹(私の叔母)が病気がちで手がかかったため、母はつねに長女として「しっかりしていること。妹を守ること」を求められていたのだ。

 

若い頃の私は、母そっくりの性格だった。

 

今でも私の性格は限りなく母寄りだけれど、父のいいかげんで楽観的な性格も併せ持っている。子どもの頃はどちらかというと父に似ている面が表に出ていたように思う。

 

年齢が上がるにつれて母に似た面が強く出てくるようになり、大人になって夫と出会い、結婚15年を迎えた今、ふたたび父に似た面が表に出つつあるように思う。

 

夫は父以上に楽観的な性格だ。とてもおおらかで、こだわりがない。若い頃の私は、年上の夫と一緒にいても、「私がしっかりしなきゃ!」とつねに思っていたのだけれど、今は真逆だ。

 

これは、夫の母の生き方を見ているおかげだと思う。

 

夫の母はきっと平坦な人生は好まないタイプだろう。そこが私と大きく違う部分だけれど、夫の母の生き方は、私の人生に差しこんだ灯台の灯りのようなものだ。

 

私は好きな場所を自由に泳ぎながら、迷ったら灯台を目指せばいい。隣にはともに人生を泳ぐ夫がいて、父は南の島でくつろぎながら遠くを泳ぐ私たちを見守り、母はきっとコンパスやら浮き輪やら食料などを用意し、大声でこちらを手招きしているのだろう。笑