ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

子どもが親に望むこと

ふたり暮らし。子どもが親に望むこと。

親には余裕が必要である

先日読んだブログに、「子どもがいるなら、父親か母親のどちらかは専業であるべきだ」というような内容のものがあった。

 

「子どもがいながらフルタイムで働いていると、自宅にいる時間は親にとっては戦争だ。嬉しかったことや悲しかったことなど、子どもがその日の出来事を親に話したくても、親が忙しそうにしていると遠慮して話すのをあきらめてしまう。親には子どもの心の声を受け止められるだけの余裕が絶対に必要だ」
うろ覚えだけれど、こんな内容の記事だったと思う。

 

今の時代にこれを言ったら共働き世帯からボコボコにされそうだけれど、私も概ね同感だ。平日は時間に追われて過ごし、休日は親が疲れ果てているのを見て過ごし、長期休暇は学童に行かされる。現代の子ども達は日々のストレスがすごそうだな、と思う。

 

バレエ教師をしていた時、生徒さんのお母さんのほとんどが専業主婦(またはパートタイマー)だった。バレエは週に何回も親の送迎が必要になる習い事なので、必然的にそうなるのだろう。とくに小学生の可愛い女の子たちは変質者に狙われやすいので、決まった曜日・決まった時間に同じ道をひとりで通わすのは心配になる。

 

長年続けてくれた生徒さんのご両親に、お二人とも不規則で多忙なお仕事をしている方がいた。人柄がとても素敵な方たちで、忙しい中でも精一杯手間ひまをかけて二人の娘さん達を教育している印象だった。まだ一人でレッスンに通えない年齢の頃は、保育ママ制度(?)のようなものを利用したり、夫婦で別々に休日を設定したりと、様々な工夫をしてバレエを続けさせてくれていた。

 

月~金の普通の共働きでも大変なのに、休日も勤務時間も不規則なお仕事をしながら子どもを育てるというのは、並大抵の苦労ではなかったと思う。いつも忙しく飛び回りながらも、きっちりバレエのことにも手をかけてくれるご両親を見て、「このお二人は一体いつ休んでいるんだろう…?」と心配になるくらいだった。

 

私にとっては憧れのご夫婦だったのだけれど、その姉妹がそれぞれ中学生になった時に話してくれた将来の夢はこれだった。↓

姉「ママみたいにかっこよく働く女性。でも結婚はしない。子どもも産まない」
妹「専業主婦」

 

中学生の言うことなので気持ちが変わる可能性は十分ある。でも、その時の私はそれを聞いて思わず考えさせられてしまった。
(ちなみにその子たちは今、立派に社会人と大学生になっている。10代の頃は二人ともいろいろあったけれど、今はご両親とも仲が良く、とても素敵な女性に成長している。)

 

子どもが親に望むこと

私の母は、私が小学2年生くらいからくもんの先生として外にパートに行くようになり、私は週の半分を鍵っ子として過ごした。今と違ってまだまだご近所の目があった時代だ。隣とお向かいには同じクラスの男の子が住んでいたし、そのまた隣には親しくしてもらっていた上級生のおうちがあった。母親同士の交流も日常的にあったので、鍵を忘れてしまった日や、母の帰りが遅くなる日は近所のおうちで過ごさせてもらったりもしていた。思えば、あの頃は周囲の親も専業主婦がほとんどだった。

 

高学年になる頃にはバレエのレッスンが毎日あるようになり、送迎のことと、それに加えて反抗期にさしかかっていた私のことを考え、母は自宅で学習塾を開いた。同じ「母親が働く」という状況でも、自宅で働いているのと外に働きに出るのとではやはり違う。反抗期とはいえ、いざという時に母が自宅にいてくれる安心感は大きかったし、中学生くらいになると悪い方向に行ってしまう友達もいたが、親の目が近くにあったおかげか、道を踏み外すこともなかった。

 

とはいえ、母はいつもとても忙しそうだった。時間的にも精神的にもゆとりのない母を見て、「私は同じようにはできない」と思っていた。私は母に心の底から感謝しているけれど、だからといって自分が母のような生き方ができるとは思えなかった。なぜなら、昔から私が人生で一番大切にしているものは「自由な時間(ゆとり)」だからだ。このことは以前の記事にも書いた。↓

asukaze827.hatenablog.com

 

先述した姉妹の話に戻るけれど、姉のほうは我慢強く聞き分けの良い子で、長女にありがちな「お姉ちゃんはしっかりしているから安心」と親に思われて放任されるタイプだった。妹のほうは飽きっぽくわがままで、よそのうちと比べては「〇〇ちゃん家はあーだったこーだった」「〇〇ちゃんのお母さんはあーだったこーだった」と言っては親の手を煩わせるタイプだった。

 

姉はマイペースにひとりで過ごすことを好みながらも、親が忙しすぎて自分を放任することに寂しさを覚え、妹は根っからの寂しがりやだったので、帰宅した時によそのおうちみたいに母親が出迎えてくれないことに不満を募らせていた。
(本人たち談)

 

からしてみたら、多忙な中、どうにか時間を工面して子どもに精一杯尽くしているような印象を持っていたご両親だったけれど、子どもの立場から見たらそうではなかったようだ。

 

「母親(父親)には干渉され過ぎず、でも、自分が必要とした時にはいつでも甘えられる存在でいてほしい」

子どもが親に望むこと。それはこれに尽きると思う。親からしてみれば、そんな都合のいい状態…!と思うかもしれないけれど、自分が子どもの立場だったらきっと同じように思うはず。

 

あくまでもただの思い出話です

子どもと関わらない生活になってから、こういうことを考えることはほぼ無かったのだけれど、ブログを読んで自分がかつて思っていたことを思い出したので、こうして書いてみた。

 

自分ではいろいろなジャンルのブログを読んでいると思っていたけれど、考えてみたら私が好んで読んでいるブログはゆとりを大切にしている方たちのブログばかりだったので、今の私に共働き世帯の生活を知る機会はあまり無い。正直、私は昔から自分の生徒さん以外の子どもには興味がなく、だから教師をやめた今、世間の子育てについてどうこう言いたいわけではない。こういうふうに思う子がいたよという、ただの思い出話として読んでもらえるとありがたい。