ふたり暮らし

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不食の人々

ふたり暮らし。不食の人々。

「不食の弁護士」秋山佳胤

世の中にはいろいろな人がいるけれど、「不食」で生きている人がいると知った時は本当に驚いた。

 

私が不食者について知ったのは、弁護士である秋山佳胤(よしたね)さんの著書だった。

 

秋山さんは、正確に言えば完全な不食者ではなく、「仕事上の付き合いで食事をすることもある」という、言わば究極の少食者だ。

 

もともとはボクシングだったか空手だったかを嗜んでおり(うろ覚えですみません)、人一倍食べる方だった秋山さん。奥様にも、栄養バランスを考えたタンパク質多めの食事を用意するようにとお願いしていて、弁護士としてのお仕事の傍ら、身体を鍛えることを大切にしていたそうだ。

 

それがあるきっかけで不食者の生活を知り、ご自身で実践。不食生活の素晴らしさを身をもって知ったとのこと。日本には何名かの不食者がいるそうだけれど、そのうちのおひとり、森美智代さんに秋山さんは会いに行き、お話を聞いた。

 

森さんは、1日に青汁1杯だけの生活を15年以上も続けているという、超微食者。秋山さんが、「いやぁすごいですねぇ」と言うと、森さんは「いえいえ、私なんてまだまだですよ。だって青汁飲んでますから」と答えたそう。

 

上には上がいるというべきか、世界にはなんとブレサリアンと呼ばれる完全な不食者も存在するらしい。彼らは水以外を摂取せず、プラーナという空気中のエネルギーを身体に取り込むことによって、生命を維持しているのだとか……もうわけがわからない。「その昔、仙人は霞を食べて生きていた」という言い伝えがあるけれど、仙人が存在していたということを信じるほうがまだ現実的である。笑

 

ブレサリアンのことはとりあえず置いておいて、私が秋山さんの著書を読んでとても興味深かったことは、「食事を摂ることをやめたら、非常に難しい案件も不思議なほど順調に片付くようになった」という部分だった。弁護士というのは裁判で争うお仕事だけれど、本来対立する立場の相手から、「あなたのおっしゃる通りにしよう、しなければと思いました」とまで言われたそう。

 

普通に考えればそんなのは秋山さんの人柄のなせる技だとか、単なる偶然だとか思ってしまいそうだけれど、私はちょっとだけ理解できる気がした。

 

腸は宇宙とつながっている!?

ここからは若干スピ的な話になるので先に断っておく。どこぞの宗教的な見出しになってしまったが笑わないでほしい。笑

 

5年ほど前、私と夫は1ヶ月半にも及ぶ、大掛かりな体質改善に取り組んだ。具体的な方法はここではあまり関係ないので端折るが、ざっくり言うと酵素デトックスの一種である。期間中は固形物を摂取しない、というもので、水に溶かした栄養素をこれでもか!というほど摂取し、全身の細胞ひとつひとつをデトックスしながら再建していくプログラムだ。
(トレーナーの方には、「豊富な栄養素を入れてるからお腹は空かないですよ」なんて言われていたけれど、そんなわけはない。ダイエットに慣れていた私でもすーごく大変だった。笑)

 

そのプログラムで、私は「お腹の底から空っぽになる」という感覚を知った。ただの空腹とは違う、「腸壁のヒダヒダの隙間という隙間にすら、もう体内には何も残っていない」という状態。まるで生まれたての赤ちゃんの腸だ。

 

すると本当に不思議なことに、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、目の前のことや、日常のすべてがキラキラして楽しく感じられるようになった。ものすごくピュアな気持ちだ。自分の心が穏やかになってゆくのを感じた。

 

この世には、脳を持たない生物は存在していても、腸を持たない生物は存在しないのだそう。腸はあらゆる生命活動を司る器官であり、命の源。森羅万象の神は、まず生物に腸を与えたのである。腸は宇宙と生命をつなぐ、もっとも大切な場所なのだ。

 

昨今、腸内環境の大切さが頻繁に謳われるようになったけれど、メディアに言われなくとも、私たちは経験として昔から知っていたはずだ。

 

よく寝て、よく食べて、よく遊んで、トイレでおっきい便りを出せば、私たちはいつも元気いっぱいだった。トイレでお腹がスッキリするあの感覚を、きっと誰もが好きなはず。

 

お通じが悪いと気分がふさぎやすく、お通じが良いと明るい気分で前向きになれることを、誰に教えられなくとも、私たちは産まれた時から知っていた。

 

腸を空っぽにし、身体が消化活動をしなくてよくなると、その生物本来の能力が研ぎ澄まされてゆく。腸は宇宙、すなわち森羅万象の神と繋がっているので、宇宙が自分に与えてくれている計り知れないくらいに大きな愛の力を、腸を通して受け取ることができる。本来ならばいつでも取り込むことができるはずの力なのに、溜まったゴミが邪魔をして取り込めていなかっただけなのである。

 

それを証明するかのように、本当の意味で自分らしく生きていくことを叶えた有名ミニマリストたち(※)は、軒並み超少食だ。1日1食、それも菜食中心の人が多い。誰もべつに我慢はしていないようである。
※ここでは、その生き方を著書などのメディアで公にしている方に限る。

 

人は、「飢えて死ぬかもしれない」という恐怖で死ぬ

人は食べなければ死ぬ。誰もがそう思っている。私は1ヶ月以上固形物を摂取しなかったけれど、栄養素は摂取していた。だから、身体から栄養素が抜けたらやはり人は死ぬのだろう、と思っている。

 

でも、心のどこかで「果たして本当にそうだろうか…?」と疑ってもいる。

 

霞を食べて生きていた仙人は、実在の人物だったのではないのか。本当は人は霞を食べて生きていける存在なのに、世界中のあらゆる利権がそうさせてくれないだけではないのか。

 

ヨーガの沖正弘氏の著書だったか、それとも中村天風氏の著書だったかは忘れてしまったけれど、それにこういう言葉が載っていた。

 

「人は飢えで死ぬんじゃない。飢えて死ぬかもしれないという恐怖で死ぬんだ」

 

不食という生き方。これを批判することは簡単だけれど、学ぼうとするととても奥が深い。深すぎる。でも非常に興味深いな…と思いながら、私は今夜の晩ごはんのことを考えている。笑