ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

素直でいると楽

ふたり暮らし。素直でいると楽。

「しっかりしていた」子ども時代

見た目がそう思わせるのか、私はなぜか昔から「しっかりしてそう」「落ち着いてそう」と言われることが非常に多い。

 

たしかに、中学生くらいまでは「しっかりした子」で通っていたように思う。赤ちゃんの頃から家族ぐるみで親しくしていた幼馴なじみが、きかん坊(女の子だけど)を絵に描いたような子だったため、私はその隣でいつも「しっかりして」いた。

 

私のほうが年下だったけれど、お菓子を選ぶ時もおもちゃを選ぶ時も、いつもその子のわがままを優先してあげていたし、アイス屋さんの前で床にひっくり返って「アイス買ってーーーーー!」と大騒ぎしているその子の隣で、私はただ黙って癇癪が収まるのを待っていたりした。

 

「葉月ちゃんはほんとにしっかりしてる」
「葉月ちゃんは落ち着きがある」
子どもの頃は、いろんな大人たちにそう言われていた。

 

だから私自身、自分のことを「しっかりしてる」と思っていたし、大人たちの期待を裏切らないようにしようと自分を律していた部分もあった。

 

評価が変わった高校時代

化けの皮(?)が剥がれはじめたのは高校生の時である。

入学してしばらくの間、私は「近寄りがたかった」らしく、友達ができなかった。ものすごく人懐っこい女の子が、「最初はみんなで一緒にお昼食べませんか~?」と言ってにこにこしながらクラスの女子全員を誘っていたのに、私の顔を見たとたん、「あ…嫌だったら全然断ってくれていいんですけど…」と怯んだこともある

 

後日、親しくなったその子に、「すごく落ち着いてて大人っぽい子だと思った。私なんて相手にされなそうと思った。でも全然ちがったから安心した」と言われ、ふたりで大笑いした思い出がある。

 

その子のおかげで、私はクラスのみんなと親しくなることができ、周囲からは「見た目に反して中身が抜けている」と言われるようになった。中学時代まではごく親しい友達にしかそう言われなかったのに、高校では担任の評価すら、「頼りない部分がある」に変化した。
(中学まではどの先生からも「しっかりしている」という評価だった。)

 

取り繕っていたら苦しくなった

「見た目に反して中身が抜けている」

これが本来の私だ。子ども時代はけっこう無理していたんだな、とわかる。親や周囲の大人たちの期待に応えようと、知らず知らずのうちに取り繕って生きていたらしい。

 

だから、高校で最初に私の化けの皮を剥がしてくれた友達には、とても感謝している。おかげで3年間、無理せずに楽に過ごすことができた。抜けている私の周りにはしっかり者の友達が集まり、いつも私に手を差し伸べてくれていた。

 

私が再び自分を取り繕うようになったのは、バレエ教師になってからである。

 

先生という立場上、私はしっかりしていなければならなかったし、これまでのようにへっぽこな自分ではなく、頼りになる先生になりたいという思いが強かった。でもその思いが強すぎたせいか、がんばる方向がどうやら間違っていたらしく、だんだん苦しくなっていってしまった。日々の忙しさや、先生という立場の重圧に耐えられず、「人生やめたい…」と思うこともあったほどだ。

 

救ってくれたのは生徒さんたちだった

生徒さんたちが小さかった頃は、私は子どもたちの目に「しっかりした先生」に映っていたと思う。子どもたちにも保護者の方にも頼られているという実感があったし、「私がやらなければ!」「私がちゃんとしなければ!」とつねに気を張っていた。

 

ところが、子どもたちが成長するに従って、またしても私の化けの皮の下の素顔が露呈するようになった。私よりもはるかにしっかり者に成長した子たちが、「先生はあてにならない」と悟ったのか、私を頼り過ぎないようになったのである。

 

私がひとりですべてやらなければ!と思っていた発表会も、子どもたちが手を貸してくれて楽にできるようになり、「葉月先生は抜けているところがある」という情報を子どもから得た保護者の方たちは、「なんでもお手伝いするのでいつでもおっしゃってください」と折に触れては言いにきてくださるようになった。

 

化けの皮を被って無理していた昔より、へっぽこな素顔をさらしている時のほうが、不思議なことになにもかも上手くいった。孤軍奮闘の頼れる先生という立場から、みんなが手を差し伸べてくれる頼りない先生という立場に変わり、そっちのほうが断然楽しいし、心が楽になることを知った。

 

現在の私

4年前に今の職場に入った時、私はやっぱり「しっかりしてそう」「仕事ができそう」と思われていたと思う。でも現在は、私に対してそういう評価をする人はおそらくいない。笑

 

「葉月さんは抜けているところがある」

 

きっとみんなそう思っているんだろうな、と思う。学生の子たちのほうがよっぽどしっかりしていると自分でも思う。でもそれは、職場で自分の本来の顔を晒せるようになるぐらい、私が慣れ親しんでいるということだ。そして抜けている私の周りには、昔と同じようにしっかり者の子たちが集まってくれている。

 

※誤解があると困るので一応ことわっておくが(誰に?笑)、仕事はそつなくちゃんとこなしている。

 

素直に生きるのは勇気がいるけれど、結局はそれが一番楽なのかもしれないな、と思う。