ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

着物の思い出。

ふたり暮らし。着物の思い出。

母の振袖

成人式で、私は母の振袖を着た。祖父が長女である母のために仕立てた着物と帯で、かなりいいものだったらしい。その振袖は、母たち三姉妹と、私と従姉妹たちそれぞれが着て、十分すぎるくらいに元をとったように思う。

 

母の知人にお琴のお師匠さんがいて、着物の仕立て直しもできる方だったので長年お世話になった。私と母は身長が15センチも違うのに、切ったり貼ったりせずにサイズを自由自在に変えられる着物というものに、日本人の物を大切にする精神が現れているように思う。着た後は毎回ほどいて反物にしてしまっておける、というのもすごい。

 

50年以上のあいだ、みんなで大切に着てきた振袖だったけれど、歳の離れた一番下の従姉妹が着たのを最後に、ついに手放した。もし私に娘がいたらその子にも着せていたかもしれない。着物という文化は本当に素晴らしい文化だと思う。

 

七五三と成人式

とはいえ、私は着物がとても苦手だ。7歳の七五三の時、祖父は初孫の私のために、やっぱりとてもいい着物と帯を仕立ててくれた。その着物ももちろん従姉妹たち全員で着て、お正月にも何度か着た。思い出の着物ではあるのだけれど、私はあまり(というか全然)いい思い出がない。

 

人それぞれかもしれないけれど、七五三なんて子どもにとっては面白くもなんともない行事のひとつだ。朝早くから着付けに連れて行かれ、動きにくい着物を着せられて、1日中親戚や親の友人知人に愛想笑いをしないといけない。お年玉でも貰えるなら喜んで愛想も振りまくけれど、べつになんにももらえない。祖父母が張り切って懐石料理の店なんて予約していたら、その地獄はさらに長引く。

 

なんというか、七五三は子どものためではなく、親や祖父母の見栄や世間体のための行事なのではないだろうか。七五三の時の写真(親が撮ったやつ)を見ると、ほとんどの写真で仏頂面の私が写っていて笑える。

 

成人式も同じだ。久しぶりに友達に会えるのは嬉しかったけれど、振袖を着て長時間過ごすことはどうしても避けたかった。式典が終わって帰宅した途端、速攻で振袖を脱いでいる私にむかって母が言った。

 

「◯◯ちゃんはこれからご家族と親戚回りだって。親孝行でいい娘さんねー」

 

そーですか。親孝行な娘じゃなくてすみませんね。育て方間違えたんじゃない?などと、おめでたいはずの日につまらない喧嘩になった。笑

 

私はバレエをやっていたので、「内股で立つ」ということが気持ち悪くてしかたないのだ。大脳に刻まれた動きと真逆の動きをする、というのは想像していた以上に大変で、写真撮影で「もう少しつま先を内側に向けて〜」と何回も何回も注意され、気持ち悪いのを我慢して笑顔でポーズを取り続けるのがとても苦痛だった。

 

用が終わったら一刻も早く脱ぎたい。私にとって着物とはそういう存在である。

 

それでも着物を見るのは好き

着物を着るのは嫌いな私だけれど、和服を着ている女性を見るのは好きだ。パート先の飲食店にも時々いらっしゃる。着慣れているのだろう、とくに年配の方は所作がきれいで憧れてしまう。

 

先日の成人の日は、駅や街中で大勢の振袖の女の子たちを見かけた。やっぱり振袖は華やかで素敵。すれ違う人たちがみんな横目でチラチラ彼女たちを見ているのがわかった。私ももちろんそのひとり。

 

自分の成人式から今年でちょうど20年。写真を見ると、今よりもほっぺたが丸くて可愛い(自分で言うな。笑)。とても風の強い日で、式典に行く前に、当時ひとり暮らしをしていた夫に晴れ姿を見せに行ったのがいい思い出だ。

 

強風の中で夫と一緒に撮った写真が、あの日の写真の中で一番幸せそうな顔をしている。