ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

心豊かに暮らしている証

ふたり暮らし。心豊かに暮らしている証。

心豊かな暮らしとはどんな暮らしか

「豊かな暮らし」と聞くと、ほとんどの人が物質的な豊かさを思い浮かべるだろう。私ももちろんそうだ。お金さえあれば、人は誰でも豊かな暮らしを手に入れられる。

 

では、「心豊かな暮らし」はどうだろう?

 

同じ単語に「心」が加わるだけで、それは似て非なるものに変化する。心豊かな暮らし…。それはお金やモノという物質的なものだけでは絶対に満たされることのない暮らしだ。逆に言えば、お金やモノなどの物質的なものがなくても、誰でも心豊かな暮らしを手に入れることは可能だということだ。

 

私の好きなエッセイに、「もったいないという気持ちがあるのは、心豊かに暮らしている証だ」という言葉がある。

 

次から次へと新しいものが欲しくなる、次から次へとおいしい物をひと口ずつ齧っては残す。という行為は傍目に見てもいい気持ちはしないが、心の豊かさという視点で見ると、大変貧しく卑しい行為に見えてくる。

 

私は過去に幾度かの断捨離をした。大量のものを手放し、少ないものの中で暮らすようになると、それらのものたちをとても大切に使うようになった。湯水のごとく垂れ流して使っていたものやお金を、「もったいない」と思うようになったのだ。
(そもそも、この「湯水のごとく」という慣用句だって、日本人がいかに恵まれて暮らしているかを表していると思う。)

 

大量のものに囲まれ、それらを大量に消費する現代において、「もったいない」と思えること。それこそが心が豊かな証なのだと、その著者は言う。

 

 

同じエッセイの中には、こういう言葉も出てくる。
「お金は足りないからこそ輝きを増す」。

 

べつに著者は貧乏暮らしを推奨しているわけではない。そうではなくて、「足りないものではなく、今あるものに目を向けよう。今あるものを大切にしよう」と言っているのだ。

 

今あるものに感謝して生きること。

 

言い回しは違えども、世界中のどの宗教も同じことを説いている。宗教戦争なんて言葉もあるけれど、どの宗教も根幹の教えは同じ。そう考えると、やはり神様という存在はこの世にひとつなのだな、と実感せずにはいられない。

 

人によってその姿の見え方が違うというだけで、人々が心豊かに幸福に生きていくためには、今あるものに感謝することが何よりも大切だということだ。それはどこの国のどんな民族でも同じである。

 

使いきれないほどのお金と時間があったら、自分はどうしたいのか?

私は以前からネットワークビジネスの製品を愛用しており、製品について知りたくて、その界隈の人たちと交流していた時期がある。

 

ネットワークビジネスをしている人たちは、この見出しの質問↑をするのが大好きだ。他人に訊くだけでなく、自分自身にもしょっちゅう問いかけている。

 

金銭的・時間的制約がまったくない状況だとしたら、自分はこれから何をしたいと思うだろうか。その答えこそが自分が本当にやりたいこと(夢)なのだという。

 

最初にこの質問をされた時、私は答えられなかった。でも、「死ぬまでにやりたい100のこと」というリストを作った時はスラスラ書き始めることができたので、問いかけ方が変わるだけでこんなに受け取る側の印象が違うんだ!と新たな発見だった。


見出しの質問の仕方だと「絶対に叶えたいたったひとつの夢」という印象が強い。そして、「お金も時間もたっぷりある」ことが前提のように聞こえる。

 

界隈の人たちは、この質問を自分にすることによって、自らのビジネスへのモチベーションを高め、他人に同じ質問をすることによって、相手をビジネスの仲間に誘おうとする。

 

個人的感想を言えば、疲れる考え方だなぁと思う。私とは対極にいる人たちだなと感じる。私は、その時その時に持っているものやお金でできることを見つけるのが楽しいし、普段忙しく働きながらも、日々のちょっとした楽しみを見つけることで心は満たされるといつも思う。

 

あの界隈でこんなことを言うと「向上心がどうのこうの…」「夢というのはどうたらこうたら…」とお説教をくらうのだけれど、人生観なんて人それぞれなのだからほっといてほしい。笑

 

ちょっとスピ的解釈になるけれど、どっちの生き方がいいとか悪いとかではなく、自分が心地よい・しっくりくる生き方が、「この世に生まれてくる時に自分で決めてきた生き方」なのだ。

 

私はこれからも、今あるものに感謝して小さな幸せをたくさん見つけながら、心豊かな暮らしを続けていきたいと強く思う。

 

本当の幸せとは

最後に、私の好きな小説「黄金の一滴(堀田あけみ著)」の中からもうひとつ。
老舗の大きなお茶屋さんのひとり娘である真由美のセリフだ。彼女は生まれた時から金銭的にも物質的にもとても恵まれた人生を送っている。

 

「私ね、しあわせなのってお茶を飲む時」
「さすが、お茶屋の娘」とちゃかす友人に彼女は言う。


「ちがうちがう、紅茶。ポットでたっぷり淹れて香りの良いのをね、おいしいお菓子と食べるの。コーヒーもだけど、紅茶って丁寧に淹れると結構面倒でしょ。それをできるっていうのは心にゆとりがある証拠でね。あーしあわせって思う」

 

物質的な豊かさだけでは、人は幸せになれない。でも、心の豊かさに目を向ければ、じつは誰もがもうすでに幸せに生きているということに気づく。無いものではなくあるものに目を向けて生きていくことが、心豊かな生き方なのだと思う。