ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

カジュアルが似合わない夫婦

ふたり暮らし。カジュアルが似合わない夫婦。

シンプルな服が部屋着に見える魔法

前回の記事の続きみたいになるけれど、私だけでなく夫もまたカジュアルが似合わない人だ。上半身にシンプルなものを選ぶと部屋着にしか見えなくなるという、いらん魔法がかかる。「カジュアルが似合わないなんて、そんな人いる~?笑」と言われたこともあるけれど、事実ここにふたりもいる。


今でこそ、パーソナルデザインや骨格診断というものが日の目を見るようになってきたけれど、ひと昔前はそんなことはどの雑誌にも書いてなかった。今の雑誌でも時々間違った情報が載っているくらいなので、まだまだ一般的になったとはいえない分野なのだろう。

 

かくいう私も、若い頃はその知識がなかったため、ファッション迷子だった。
(だからマキシマリストになってしまったのだと思う。)

 

今は自分のパーソナルカラーや骨格タイプ、およびパーソナルデザインを診断したため、自分に似合うものがよくわかるようになった。つまるところ、私にカジュアルが似合わないのは当然だったのである。

 

夫は若い頃から実際の年齢よりもぐっと年上に見られていたそうだ。見た目が老けているというよりは、物腰が落ち着いていて、「ウェーイ感」がまったく感じられない人なのだ。立ち振る舞いもつねに堂々としており、よくいろんな会社のお偉いさんに気に入られている。

 

これは私も同じで、若い頃はいつも年上に見られていた。人に頼られるよりも頼りたい性格なのに、なぜか落ち着いていてしっかりしてそうに見られるため、仕事を始めるとそのギャップにがっかりされたりする。
(ちょっと困っている。)

ふたりとも、最近になってようやく、見た目の印象に実年齢が追い付いてきたように思う。

 

服装の話に戻ると、Tシャツにジーンズという、一見誰にでも似合いそうなシンプルな服装が、私たちにはまったくといっていいほど似合わない。白Tにジーンズなんていうシンプルな格好をしていると、まるで大掃除中か引越し作業中の人になってしまう。

 

逆に、きちんとした服は自分で言うのもなんだけれどとっても似合う。不思議なのは、着ている物の値段は関係ないということだ。ブランド品を身に着けているわけではないのに、きちんとしたデザインの服を着るだけで、友達や親に「また高そうな服を着て…」と言われる。

 

カジュアルが似合わないのは不便でもある

街中を見渡すと、カジュアルな格好をしている人が圧倒的に多い。
(オフィススタイルは除く。)

 

長らく流行っていたダボダボファッションがなりをひそめ、清楚なフェミニンファッションが流行り出したとはいえ、やっぱり圧倒的にカジュアル派が優勢だ。

 

とくに男性はその傾向が強い。電車や街中で清楚なワンピースを着ている子を見ても、その隣にはTシャツにハーフパンツにスニーカー、という男性がいたりする。べつに本人の勝手だけれど、隣の彼女と自分の格好を見比べてみて、何も思うことはないのだろうか。

 

とはいえ、カジュアルな装いはやっぱりとても便利だなと感じる。カジュアルな格好をしていれば街中で浮くことはまずないし、お店でも施設でも、ドレスコードがない場所であれば、たいていの場所に違和感なく溶け込むことができる。

 

それに比べて、きちんとした格好は目立ちやすい。私にとってはいつもの普通の服なのに、「今日はどこ行くの?」「ホテルでディナー?」などと訊かれることがわりとある。夫婦で歩いていたりすると尚更だ。
(えーと、ちょっと買い物に行くだけなんだけど…とは言いづらい。笑)

 

私がパートしている飲食店はデパート内にあり、コース料理も出すお店なのだけれど、年配の方はきちんとした格好をしているのに対し、若い男性はほぼ100%カジュアルな服装だ。たまにきちんとした格好をしている人がいると目を引く。

 

パーソナルデザインから見ると、カジュアルが似合わない私たちと同じように、エレガントなものが似合わないタイプの人もいる。それに加えて、女性の場合は、子育て中だったりすると普段の服はどうしてもカジュアルにならざるを得ないだろうし、男性の場合は、休日くらいかっちりした格好をやめてゆるっと過ごしたいのかもしれない。

 

どっちかを選択するとしたら、やっぱりカジュアルが便利だなぁと思う。私も似合わないというだけで、決してカジュアルが嫌いなわけではない。Tシャツにジーンズというシンプルな服装がバッチリ似合う人を見るとうらやましいな、と思う。

 

でも、今の私はエレガントな装いの似合う自分を気に入っている。きっと年齢を重ねたせいもあるのだろう。カジュアルが似合わないことに引け目を感じていた学生の頃にはもう戻りたくない。