ふたり暮らし。「ちゃんとした」服。
「いつもちゃんとした服着てますよね」
今日もまた服の話だ。いつも思っていることなので、この際ぜんぶ書き残しておく。
職場の更衣室とか、駅やスーパーでばったり会った知り合いなどに、見出しのセリフを言われたことが何回かある。
私はもう何年も前から、春夏はワンピース、秋冬はワンピースまたはニットにロングスカートというスタイルのみで暮らしていて、パンツ類は持っていない。選ぶデザインがすべてきれいめなので、たぶんそれが「ちゃんとして」見えるのだと思う。
でも、先日の記事にも書いたように、べつに日常的に高い服を着ているわけではない。なんなら、それを言ってきた人のほうが、ナイキのスニーカーを履いていたりノースフェイスのダウンを着ていたりするではないか。
ナイキのスニーカーにノースフェイスのダウンを着ている人は、街中で誰に会っても(おそらく)何も言われないのに、ノーブランドのワンピースにロングコートを着ている私が「いつもちゃんとした服着てますよね」と言われるのは何故なのか。
(今はワンピース1枚の季節だけれど、つい先日も知人に「いつも素敵な服着てるから、道を歩いてるとすぐわかる」と言われたばかりだ。)
ちゃんとした服って?
そもそも、「ちゃんとした」服ってなんだろう。きちんと洗濯してお手入れされている服なら、ユニクロでもエルメスでも全部「ちゃんとした」服だ。
服が素敵だねと褒められるのは嬉しいけれど、「いつもちゃんとした服着てるよね」「いつも素敵な服着てるよね」という言葉の裏には、なんとなく「たかがパート(や買い物)に来るだけなのに、なんでそんな気取った格好してるの?」というニュアンスが隠されている気がして返事につまる。
私は自分に似合う色やデザインがどんなものかよく知っているので、ただ自分に似合う格好をしているだけだ。もし私がTシャツにジーンズが似合うタイプであれば、毎日それを着ている。
自分に似合うファッションを知ること
私にしてみれば、「別のスタイルのほうがもっと似合うだろうに、なんでいつもTシャツにジーンズというスタイルなのだろう?」と思う人もいる。
(もちろん、そんなことはおくびにも出さないけれど。)
オーソドックスなTシャツにジーンズというファッションは、決して万人に似合うファッションではない。でもなぜか「普段着といえばコレ」みたいな風潮がある。
小さい子どもがいるとか、汚れる作業をする予定があるとか、そういう理由があって着ているならわかるけれど、ほかの誰でもない、自分のために服を選んでいるのであれば、自分に似合うファッションというものをもっと勉強してみてもいいんじゃないのかな~?とか思ってしまう。
(大きなお世話なことは重々承知。)
私は自分に似合うファッションを知って、服選びがすごく楽になった。クローゼットに並ぶ服はどれも私に似合う服ばかりで、着ていてテンションの下がる服は1着もない。たかがスーパーにいくだけとはいえ、テンションの下がる服なんて着たくない。いつでも自分に似合う服、自分らしい服を着ていたいと思っている。
だから今日も私は「ちゃんとした」服を着る。