ふたり暮らし。疲れている時のサイン。
疲れがたまると読書がはかどらない。
職場がすごく忙しかった日や、通しでシフトに入った日などそもそもの労働時間が長い日は、肉体的な疲れを感じる。そういう疲れは、足を高くして寝たり、ストレッチをいつもより念入りにしたりすることで解消される。
でもそういうわかりやすい疲労ではなく、日々ちょっとずつちょっとずつ蓄積されていく慢性的な疲労や精神的ストレスには、自分ではなかなか気づかない。疲れたなーという自覚がないので、連休を設定せずにいつも通りシフトを提出してしまったり、店長に請われるままに誰かの代わりを受けてしまったり、勤務中にしたくもない無駄話に付き合ってしまったりする。どれもほんのちょっとずつキャパオーバーしているのだ。
そんな、日々澱のようにたまっていく見えない疲れに、「私、疲れているのかも…」とハタと気づくのは、本を読んでいる時だ。
私が読む本は小説が多いのだけれど、私は初めて読む本でもくり返し読んでいる本でも、文章の隅から隅まで読んで情景を頭の中に描きながら読み進めたいタイプで、ページを何度も行き来し、情景をなるべく鮮明に想像する。
(だから読むのがけっこう遅い。)
最近わかったことは、見えない疲れがたまっている時は読書がはかどらない、ということだ。
好きな読書をして心身の充電をしているつもりだったのに、じつは充電器が合っていなかったような感じだ。目が滑るというのだろうか、何度読んでも情景がぼや〜としか浮かんでこない。だからいつも以上に何度も何度もページを行き来したり、さっきも調べた言葉の意味をまた調べていたりする。こうなるともう読書ではなく、文字通りただ文字を追っているだけといえる。
能動的な趣味は時に逆効果になる
私の場合、好きなことをする=リラックスできる、というわけではないらしい。
見えない疲れがたまった時は、読書のように思考や想像力を使う能動的なものよりも、軽いストーリーの漫画やアニメ、映画などの完全な受身で楽しめるもののほうが心が安らぐ。昔、仕事が超多忙を極めていた時に、ただひたすらドラマを観て、必死に脳を休めようとしていたことを思い出す。たぶん、向こうから勝手に流れてくる映像や音に囲まれることで、思考停止することができるのだと思う。
最近は、こういう状態になった時はHuluで「上田と女が吠える夜」を一気見している。不快な笑いがないのでイラつかずに観ていられるし、「こんな芸人さんがいるんだ〜」「この女優さん雰囲気変わったな〜」など、普段テレビを観ない私にとっては貴重な情報源でもある。少し前まで配信されていた回には、あゆがゲストで出ていてひとりで発狂寸前に盛り上がっていた。笑
キャパオーバーのサインに気づくようになったのは成長
以前は、自分のキャパオーバーのサインに気づかなかった。だから、ある日突然何もかもやりたくなくなり、一日中ベッドから出ない、なんてこともあった。自分でもそうなる理由がわからなかった。
でも今は、読書が進まないな〜と感じたらいったん中断して、夫がいれば一緒に散歩したり、ひとりの日は漫画やHuluを観て過ごしている。そうやってしばらく経ち、脳がすっきりすると、読書がまたはかどるようになる。
自分のキャパオーバーのサインに気づくようになったことは、成長だなぁと思う。生きることが若い時よりも上手になったと感じる。