ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

送別会と色紙の寄せ書き

ふたり暮らし。送別会と色紙の寄せ書き。

再開された年度末の風物詩

先日、職場の店長から退職者の送別会を行う旨の連絡がきた。ひいては、餞別代と色紙代の徴収を行うとも書かれていて、うげ。と思った。

 

昨年までそんなことを言われなかったのは、コロナ禍で送別会自体をやっていなかったからのようで、なんと今年からは復活してしまうようなのだ。退職するのは数人の大学生と、私が会ったこともないキッチンのパートさん(?)である。

 

もともと小規模な飲み会や食事会は時々やっている職場だけれど、店長が音頭をとってお店全体で行った飲み会は私が入ってから1回だけ。その時の会費はなんと5000円だった。社員ならまだしも、たかがバイトの飲み会に5000円!!私も断ったけれど、学生も全員不参加だった(そりゃそうだ)。結局、店長や料理長を含めたキッチンの社員たちと、平日昼間のパートさん数人だけで行ったようである。

 

今回は送別会ということなのでなかなか断りづらい雰囲気だ。「会費は追って連絡」と書いてあったけれど、ただの飲み会で5000円取る店が、送別会だからって2000円にしてくれるとは思えない。正直な気持ち、そんなもんやって楽しいのは普段忙しくて飲みに行けない社員たちとごく一部の主婦の人だけだろ!と思う。辞めていく人には悪いけれど、私は出ない。

 

送別会はなんだかんだと理由をつけて断れたとして、それ以上に厄介なのが色紙の寄せ書きと餞別である。

 

普段学生と関わらない主婦の人も全員メッセージを書いて代金を支払うようにLINEが回ってきている。私は辞めていく学生と普段一緒に働いているからまだしも、ほかの主婦の人たちは、あまり関わったことのない学生相手にメッセージを書き、お金を支払うというこの風潮に、誰も異議を唱えないのだろうか?

 

もし自分が辞める側の立場だったとして、大して親しくもない人たちからの寄せ書きなんてもらっても困る。書く方も社交辞令しか書くことがないということがわかりきっているのに、頭を悩ませて書かせてしまったことも申し訳ないし、そんなものを渡され、笑顔でお礼まで言わないといけないのも面倒くさい。なんだこの無駄なやり取りは…とか思ってしまう。

 

私も前職を辞める時には色紙をもらったけれど、あれは可愛い教え子たちに貰うから嬉しいのであって、面識があるというだけのよく知らない人から貰っても、自宅に帰ったら燃えるゴミである。私は薄情なのでそういうものを捨てることに抵抗がないけれど、抵抗がある人にとっては迷惑でしかない贈り物だと思う。色紙一枚とはいえ、その保管場所に負担を感じる人は多いのではないだろうか。

 

やりたい人はやればいいけれど、有無を言わさず強制するのはやめてほしい。「色紙を用意しておくので、メッセージを書きたい人は書いてください。書いた人は◯◯円払ってください」くらいにできないものか。プレゼントは何をあげるのか知らないが、本人の好みドンピシャな物を選ぶ確率は限りなくゼロに近い。たとえ花束でも、誰もが貰って嬉しいものではない。

 

そもそも学生は学生同士、個人的にやり取りをしているものだ。わざわざ色紙にメッセージを書かなくたって、友達や先輩に感謝の気持ちを伝えることはできるし、送別会や飲み会だって、仲のいい学生同士で勝手にやっている。色紙だ送別会だと騒いでいるのは大人だけである。

 

波風立てずに慣習を変えられたコロナ禍

学生バイトの多い飲食店で、一度こういうことをやり始めたらキリがない。みんながみんな年度末まで働けるわけじゃないし、長年勤めていても途中で辞めたら何もなし?入って数ヶ月だけど年度末までいた人は?などと面倒くさいことになる。「辞める時は送別会開いてもらえて、色紙とプレゼントもらえるんだ」ということを知った在学生たちは、自分たちが辞める時も同じようにしてもらえると思うだろう。
(嬉しいか嬉しくないかは別として。)

 

こういう慣習を最初にやり出した人の罪は深い(店長だけど)。せっかくコロナを理由に中止していたのなら、再開するべきではなかったと思う。コロナ禍は約4年もあったのだから、そういう慣習のある職場だということを知る学生も少なかったはずだ。

 

贈り物をしたいなら個人的にやってほしい。自分の負担を減らすために全員参加にしないでくれないかな。怒

 

こんなことを書いてはいるが、私は辞めていく学生さんたちのことは好きだし、お世話になったとの思いもある。だからもちろんお礼は伝えたい。色紙を渡すのは気が進まないけれど、私だけメッセージを書かかなかったら、「葉月さんに嫌われてたのかな…」と誤解させてしまうかもしれないので書くしかないと思っている。