ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

悪魔会議

ふたり暮らし。悪魔会議。

優秀な悪魔

スピリチュアル界隈では有名なお話、「悪魔会議」。これはスピに興味のない方にもぜひ知ってほしいお話だ。


ある時、悪魔会議が開かれました。


人間をいつまでも不幸にしておくために、人間が決して自分は神の子だと気づくことのないように、そのための一番効果的な方法を人間界に用いてきた悪魔を、次期悪魔大統領に任命しようというのです。


現職の悪魔大統領が、候補者である3人の悪魔たちに訊きました。
「お前たちは、人間界で何をやってきたのか」


一人目が答えました。
「私は新種のウィルスを捲き散らしてきました。エイズウィルスと鳥インフルと豚インフルです。狂牛病も付け加えておきました。欲深い人間どもが、肉を食し性欲におぼれる限り、これらの恐怖から逃れられません」


聴衆の悪魔たちから拍手と歓声がわきました。


次に二人目が答えました。
「私は人間どもに暴力と破壊の楽しさを教えてきました。映画やゲームのような娯楽に悪魔性を吹き込んで、子供の頃から洗脳し、無差別に人を殺しても何とも思わなくなる大人を養成できるようにしてきました」


ブラボー!会場内はさらに盛り上がりを見せました。


そして三人目が答えました。悪魔たちの中で最も賢く優秀な、悪魔界期待の星です。
「私は聖者になり済まし、彼らの前に立って言いました。あなたは神の子だ、と」


会場に動揺が走りました。 しかし、その悪魔は続けました。


どんなに苦しくても頑張るのだ。耐え忍びなさい。そして希望を持ちなさい。より高き自分をめざし、神に近づくのだ。そしていつの日か完全な自分になった暁には、自分が神の子だったことを知るだろう」


会場は騒然となりました。 一番期待していた悪魔が、まさか自分たちを裏切るとは…!


しかし、現職の悪魔大統領は言いました。
「人間はいずれ、ウィルスも暴力も制御してしまうだろう。 しかし、3人目のお前こそ完璧に仕事をやってのけた。 これで人間が神の子だということを知る日は永遠に来ない。 奴らは永遠に自分を高め続け、永遠に神にあこがれ、永遠に「いつの日か」を待ち続けることだろう。 お前こそが次期大統領だ!」

 

人間を不幸につなぎとめているのは、今のままの自分では幸せになれないと感じ、いつの日か幸せになりたいという思いを持ち続けていることです。


そして「いつの日か」という日は永遠に来ません。


もうすでに辿りついていることを知ることです。
たとえ目の前の現実がどのように見えようと、私たちはすでに神そのものであり、100%の幸せに満たされています。
(以上引用)

 

あなたはあなたのままでいい

スピリチュアル界隈に限らず、「あなたはあなたのままでいい」「ありのままでいい」という言葉は、あちこちで見聞きする。かくいう私自身も過去の記事で書いてきたような気もするが、こういう言葉にうんざりしている人も多いだろう。

 

「ありのままでいいっていくら言われても、今の自分がどん底で壁にぶちあたっている現実は変わらないんだから、そんなキレイ事は聞きたくない!」

 

そう言いたくなる気持ちはわかる。でも、普通に考えればこの世に悩み事のない人なんていない。みんな多かれ少なかれ、何かしら悩んでいる。どん底で壁にぶちあたっていると思っているのは自分だけではないのである。


「私に悩み事はない。悩み事は悩むから悩み事になる。悩まずにそのまんま受け入れたら、それはただの出来事。他人がなんと言おうとも、自分が気にしなければそれは無いのと同じ」
これはアンミカさんの言葉(もちろんあの強烈な関西弁で)だ。

 

小林正観さんも、いつも同じことをくり返しおっしゃっていたという。


「子どもが全然勉強しないんです」と相談にきた母親には、
正「勉強しないことを悩んでいるのは誰ですか?」
母「私です」
正「じゃあお母さんが気にしなければ解決ですね」

 

「娘がいつまでたっても結婚しないんです」と相談にきた母親には、
正「娘さんが結婚しないことを悩んでいるのは誰ですか?」
母「夫と私です」
正「じゃああなたたちが気にしなければ解決ですね」

 

「就職活動がうまくいかないんです」と相談にきた大学生には、
正「就職できないと何が問題なんですか?」
学「自立できないです」
正「自立できないと何が問題なんですか?」
学「親が心配します」
正「親が心配すると何が問題なんですか?」
学「えっと…結婚とかできないかもしれないし」
正「今日、結婚するんですか?」
学「えっ。いや、そうじゃないですけど」
正「今日、帰る家がないのですか?」
学「いえ、実家に住んでいます」
正「住む家があるのに何が問題なんですか?」
学「いずれは出て行かないと。親に迷惑はかけたくないです」
正「ご両親が迷惑だって言ったんですか?」
学「いえ、言われたわけじゃないです」
正「親に迷惑をかけたくないから自立したい、だけどできない。それがあなたの悩みですか?」
学「まあ…そうですね」
正「じゃあ悩まなければ解決ですね」

 

文章にするとちょっと暴論に感じるかもしれないが、これらのあとで、正観さんは必ずこのように締めくくっている。

 

「目の前のこと・人・ものを大切にしなさい。今、自分が置かれている状況がどうであるかということに、感想を持つ必要はないし、評価や論評もいらない。今、自分がやるべきことは、自分の目の前にいる人、目の前にあるものを大切にすることです。

愛すれば愛される。嫌えば嫌われる。宇宙は投げかけたものが返ってきます。あなたが悩めば、悩む出来事が返されます。今、目の前に『ある』ものを大切に」

 

将来への不安

きっと多くの日本人の頭の片隅には、つねにこんな悩みがあるはずだ。

 

「老後の資金は足りるだろうか」
「年金はもらえるんだろうか」
「何歳まで働かなければならないのだろう」
「年老いた親の世話はどうしよう」
「物だらけの実家の処分はどうしよう」

 

はい、これは私の悩みだ。でもきっとみんな似たようなことで悩んでいるのだろうと思う。

 

でも、今の時点でこれらの悩みは現実になっていない。私はまだ40代で健康だし、親も元気。物だらけの実家も、今は私の所有物ではないので関係ない。なのに、なぜ悩む必要があるのだろう?

 

将来のリスクに備えて対策を講じることも大切だが、だからといってべつに「悩む」必要はない。正観さんのおっしゃるように、目の前にある人やものを大切にすることを第一に、ただ淡々と生きていけばいいのだ。

 

だって私たち人間は、もうすでに100%の幸せにたどり着いているのだから。

 

コボちゃんのおばあちゃんのように

私は植田まさしさんの4コマ漫画「コボちゃん」が好きでよく読んでいるのだが、その中でとっても好きなお話がある。

 

1学期の終わり、主人公のコボちゃんが小学校から通知表を持って帰ってきた。お母さん、おじいちゃん、お父さんにそれぞれ見せた時の反応は、「ウーーーン」「フーーーム」「つぎはがんばるんだな」となかなかに渋い。

そんな中で、おばあちゃんだけが、「えらい!1日も休んでないのね」と喜び、コボちゃんが「おばあちゃんてぼくのオアシス」と言って抱きつく、というお話。

 

よくある家族の、日常のちょっと笑える話を描いているだけかもしれないが、すごくメッセージ性を感じる1話だ。地球上のすべての人がおばあちゃんのように考えられる人だったら、きっと世の中はもっとずっと良くなるのだろう。皆勤賞だから素晴らしいという意味ではもちろんない。
(ちなみにお母さんもお父さんもおじいちゃんも、ほかの話では優しいのでご安心を。笑)

 

「向上心を持つこと」と「ありのままの自分を受け入れること」は対ではない。向上心を持つ自分もOK!向上心を持てない自分でもOK!ぜーーーんぶOK!あなたも私もみーーーーんなOK!

 

これが私たち人間の本来の姿なのである。私は不安を感じた時やなんとなく元気が出ない時に、これらのお話を思い出すようにしている。