ふたり暮らし。時間という概念は嘘である。
20分休みで校庭に遊びに出ていた子ども時代
子どもの頃、2時間目と3時間目の間に20分休みというちょっと長めの休み時間があった。長めとは言ってもたった20分。今ならトイレ行ってちょっとスマホを見ていたらそれだけで終了だ。
でも小学生の頃はこのたった20分間の休憩で校庭に遊びに出ていたのだからすごい。1階の教室ならまだしも、3階の端からでも階段を駆け降りて外に飛び出していた。往復の時間を考えたら遊べる時間なんて正味15分弱だ。その短い時間で友達と「なにやる?」から始まり、「凍鬼!」とか「ドロケイ!」などと意見が出て多数決を取り、じゃんけんして鬼を決め、鬼ごっこをする。
恐るべし、子どもの「今」を生きる能力!
20分間の休憩を、きっと多くの大人たちは「たった20分」と感じるだろう。でも子どもたちは違う。「やったー!20分もある!なにやろう!?」と小さな頭をフル回転させて考える。
子どもの頃の私は、昼休みによく図書室にも行っていたのだが、そこで夢中になって江戸川乱歩の本を読んでいた。小学校の昼休みなんてそれこそやっぱり20分くらいなのに、その短い時間で先の気になる推理小説を読もうなんて、今の私は思わない。
子どもは「20分あるから、アレとコレとソレをやろう!」と思い、大人は「20分しかないから、アレもコレもやるのは無理だな」と諦める。なんでこんなに考え方が変わってしまったのだろう。
過去も未来も同じもの
不食の弁護士、秋山佳胤(よしたね)さんによると、「過去も未来も同じもの。メモリが右か左かの違いだけ」だという。
「時間というのは前に延びている道であり、自分の後ろには過去という名の足跡を残して進んでいく」というのが普通の考え方だが、本当は「時間というのはすべて同時に存在し、過去と未来の違いは“今”より右か左かの違いでしかない」のだそう。人生はパラパラ漫画のように、無数の「今」を渡り歩いているだけ。過去も未来もないとのこと。
小説「すきまのおともだちたち(江國香織著)」には、こんなやり取りが出てくる。
おんなのこ「過去の思い出について考えたことはある?」
主人公「過去の思い出?思い出っていうものは、みんな過去のことでしょう?」
おんなのこ「そんな馬鹿な話があるもんですか」
おんなのこが一緒に暮らしている"お皿"は、立派なお屋敷の戸棚にしまわれ続ける「今」を飛び出し、おんなのこと一緒に新しい「今」を始めるという決断をした過去がある。その瞬間から、お皿にとってお屋敷での人生は「過去の思い出」となり、おんなのこと暮らす日々は「今の思い出」となる。
この小説はひとことで言うとファンタジーなのだが、「今」が永遠に続く世界を生きているおんなのこと、普通の世界からふいに訪れるはめになる、主人公の女性との交流を描いている。「過去」「今」「未来」が横並びで同時に存在するということを表現しようとしたら、こういうお話ができるのかもなぁと感じる作品である。もちろん解釈は人それぞれだが。
人生のパラパラ漫画には無数のページがある。でも人は決められた1冊を進んでいくのではなく、パラパラ漫画自体が無数に「同時に」存在している。だから多くのスピリチュアリストたちは「すべては最初から決まっている(存在している)」と言うのだと思う。 こっちの漫画からあっちの漫画に移動するのも自由で、移動したからといって元の漫画がこの広い宇宙から消えてなくなるわけではない。ただ自分の「今」から無くなったというだけ。
人が「今」という無数の漫画を渡り歩く中で、過去に訪れたことのあるページに偶然また訪れた時、デジャヴを感じるのかもしれない。
時間という概念がなかったら
もし、時間という概念が世界から無くなったらどうなるか。
大人たちが困る。
幼い子どもはつねに「今」を生きているので、◯時までに朝ごはんを食べて、◯時までに歯を磨いてお着替えして、◯時までに家を出ないと遅刻しちゃう!なんて考えていない。だから周囲の大人たちが「早くしなさい!」「◯時までにやらないと間に合わないよ!」とせっつく必要がある。
じゃあなんで大人は時間を守るのか。
突き詰めて言えば、そうしないと経済が回らないからだ。経済が回らないと、世界の大人たちを支配している人々が困るからである。だから時間通りに学校へ行き、「将来のためにコツコツ努力」し、「時間を守って行動する習慣」を身につけ、経済を回す一員になるために子どもを育てることが親の務めだと洗脳する。
すべての大人たちが、幼い子どもと同じように時間を気にせず目の前のことだけをやっていたら、この世界は破綻してしまう。そうならないように、大人たちを支配する人々は「時間」というものを設定することにしたのである。
だから本来、時間というものは存在せず、ただ目の前にある「今」の連続を、淡々と生きていくだけでいいのだという。縄文時代の人々のように。
時には時間を忘れて…
とはいえ、この進化した世の中で、時間というものを忘れて生きていくことなどできない。真っ先に自分が困る。そもそも、これだけ頭に染みついた「時間」という概念を今さら無くせと言われても無理である。
でも時々は、時間(とくに未来のこと)なんて忘れて、自分は「今」の連続を生きているんだ、ということをゆっくり感じてみるのもいいと思う。
哲学や芸術は、時間に追われることのなかった人々が有り余る暇を持て余した結果、生まれたものだ。「人間は何もしていない時に考える」と言ったのは誰だったか。schoolの語源はskhole(余暇、暇)だそう。学校の語源がヒマって。笑
いいアイディアもぼーっとしている時に生まれやすいと言われているし、大人の私たちこそ、たまにはすべての時計機器から離れて1日を過ごすのが大切なのかもしれない。