ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

無礼講という肴

ふたり暮らし。無礼講という肴。

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アタリのイタリアン、ハズレの金曜日

先日、近所のイタリアンに行った。テーブル席が5つほどあるだけの小さな個人店だ。その夜たまたま通りがかり、店の外から大きなワインセラーが見えたため、夫とふたり、期待して入店した。

 

22時と遅い時間だったが、店内には私たち以外に2組のお客さんがいて、そのうちの数人が大声でしゃべっていた。嫌な予感はしたが、ワインの誘惑に勝てず、そのまま着席した。

 

お通しをつまみながらさりげなく店内を見回してみると、ひと組は40〜50代の男女4人組で、もうひと組は同じくらいの女性3人組だった。全員仕事帰りのようである。どちらのテーブルにもワインのボトルが置いてあり、それがおそらく1本目ではないことはその様子から見て取れた。女性たちは代わるがわる頻繁にトイレに立ち、男性客のひとりは椅子にふんぞり返って大きな身振りで偉そうにしゃべっている。

 

私たちのいたテーブルは彼らのテーブルから離れた端っこの席だったが、それでも狭い店内では、おっさんの大音量のおしゃべりとおばさんの甲高い笑い声が鼓膜をつんざくように響いてくる。

 

ふと厨房のほうに目をやると、店主さんが申し訳なさそうに目配せをしてきた。飲食店で働く者としてその気持ちはよくわかる。客側としては店主に注意してほしいところだが、店側としてはよっぽどじゃない限りお客様に注意なんてできないのだ。

 

料理もワインもとってもおいしかったが、その日はハズレだったねと夫と言い合った。いつもは外食を避けている金曜日だということに入店してから気づいてしまったのだから、これは私たちのミスだ。次は火曜日あたりに来よう。

 

お酒は味わいを楽しむもの

こんなことを言うと、また「お高くとまってる」とか言われるが、ワインは酔っ払うための飲み物ではない。その味わいを楽しむ飲み物だ。紅茶好きな人の家で、出された紅茶をガブガブ飲んだりはしないのと同じで、ワインもゆっくり味わうからこそ、そのおいしさを感じられる。

 

酔って騒ぎたいだけなら、氷だらけのハイボールやチューっと箱から注ぐワインを出す店に行けばいい。そういう店なら、「お酒は味わって飲むものだ」なんて言わない。でも、ワインや料理の味にこだわっている個人店は料理とワインのマリアージュを楽しむ店である。そこに親しい人とのおしゃべりが加わり、楽しい夜となる。理性を失うほどに飲むのはワインにもお料理にも失礼である。

 

大声でしゃべったり手を叩いて大笑いするのは若い頃に散々やってきたのだから、せっかくの大人同士、もっと違う時間の過ごし方があるのではないだろうか。

 

追い出された飲み会

私にも、飲み会で大騒ぎした経験はもちろんある。いずれも20歳そこそこの頃だ。20代なんて、「法律で飲酒が許されているだけの子ども」に過ぎない。お酒の味なんてまったくわからず、ただみんなと飲んで騒ぎたいだけだった。

 

そんな飲み会の席で、ゆっくり味わうようにウイスキーのグラスを傾けている男性、それが夫だった。夫も当時は20代。当然周囲からは浮いていたが、私は一瞬で好きになった。お酒を味わう楽しさを、私は夫から教わったのだ。

 

惚気は置いといて、そんな私は若い頃、バイト先の飲み会で自分たち以外にお客が誰もいないのに、「ほかのお客様のご迷惑なので!怒」と言われて追い出されたことがある。

 

場所はチェーンの居酒屋。バイト先は飲食店だったので、当然参加者は全員、接客業の人間である。にもかかわらず、私たちはお店の人たちに大迷惑をかけながら大騒ぎをしていた。

 

何度目かの乾杯の時には、勢いあまってグラスをぶつけて割り、テーブルの上を水浸しにしてグラスの破片を飛び散らせた。それらを片付けてくれたのは、もちろん店員さんだ。酔っていてうろ覚えだが、店員の女の子に絡んでいた大学生も何人かいたように思う。まじでほんとに大迷惑な痛客である。自分が店員だったら二度と来るなと思う。

 

自分たちだって普段は迷惑な痛客に辟易させられていたくせに、アルコールが入るとこれだ。若気の至りでは済ませられない。この時のことを思い出すたびに、お酒というのは理性を失わせるのだな、と改めて思う。

 

お酒の肴に無礼講はいらない

日本には無礼講という言葉があるが、英語にはない。それに近い言葉はあるが、「嫌なことは忘れて楽しい時間にしよう!」というような意味で、日本語の飲みの席で使われる無礼講とはニュアンスが異なる。日本語の「今日は無礼講で!」という言葉は特殊だ。

 

「飲みの席では何でもアリだ。明日になったらすべて水に流せ」。いかにも昭和的なセリフだが、未だに飲み会にはこういう風潮がある。無礼講という肴がないとお酒が飲めない飲み会は、もう時代遅れだと思う。

 

以前、お気に入りのバーで、大声で話していた3人組の客を、静かにキレたマスターが追い出しているのを見たことがある。大声と言っても居酒屋でのそれとは違い、ちょっと盛り上がった程度だったが、静かに飲んでいるひとり客がほとんどのバーで、グループ客のおしゃべりはたしかに耳障りだ。

 

バーこそ、本当にお酒を味わう場所だ。3人以上で飲みながらワイワイしたいなら、もっとふさわしい場所がある。大人数で酔って大騒ぎをしたいなら、それもまたもっとふさわしい場所がある。と言いたいところだが、酔って大騒ぎをするような飲み会は、どんな店にとっても迷惑でしかない。いい大人なら、酔って大騒ぎをするような飲み会はもう卒業するべきだと思う。

 

お酒は人生を豊かにする。だからこそ、無礼講という肴がなくても、それを楽しめる人間でありたい。