ふたり暮らし。冷静と情熱のさじ加減。
「可愛い」しか出てこないキッズの踊り
↑友人の発表会のお手伝いに行って、思ったことがある。
「よその子はただただ可愛い」ということ。
舞台上でのリハーサル中、私も友人の隣で客席から観せてもらったのだが、幼稚園生はもちろんのこと、3〜4年生くらいまでのお子さんもただただ可愛いなぁとしか思わなかった。みんな小さい体で一生懸命踊っている。技術的におぼつかない部分も初々しく感じ、その初々しさが美しいとすら思った。
でも、教師である友人の視線は厳しい。トウシューズを履いていない年齢の子たちにもガンガン怒っていたし、「はい、やり直し!怒」と何度もダメ出しをしていた。私は友人の怒声を横で聞きながら、「そんな怒んないであげてよ〜。みんな一生懸命がんばってるじゃ〜ん。それだけで100点だよ〜」と思っていた。
でもそう思うのは、私にとっては他人事だからだ。自分が指導して育てていかなければならない子たちではないから、無責任に「一生懸命踊っててえらいなぁ。可愛いなぁ」なんて暢気でいられるのだ。
こんな風に暢気に思うようになったのはバレエ教師を辞めてからで、教師をしていた頃は友人の生徒さんたちを見ても、自分の生徒たちと同じように見てしまい、「あー、あそこがまだまだだな」とか、「ああもう、見ててイライラするなぁ」などと、友人と同じ気持ちになっていた。
未熟だった自分を反省
現役で教師をしている友人は、生徒さんたちに対してとても熱い情熱を持っている。だから小学3年生にもなれば「もうちっちゃい子じゃないんだからしっかりしてよ!わぁ可愛いー♡だけで済まされる年齢は過ぎてるんだからね!」と、厳しい目線になるのだ。
でも普通に考えたら、小学3年生は生まれてからまだ10年足らずの小さな子どもだ。道を歩いていたらまだまだ誘拐の不安もあるほどに幼い。
でもなぜか先生(おそらくどのジャンルにしても)なんてものをやっていると、「3年生はもう小さな子どもじゃない」と考えがちである。実際にコンクールを視野に入れ始めるのもそのくらいの年齢だし、早い子はそろそろ将来の道筋を決め始めている。勉強にしても、難関中を狙うならそのくらいの年齢から取り組み始める子が多い。
でもまだこの世に誕生して10年足らずなのだ。そんな小さな子どもたちに、多くを求めすぎなのではないだろうか。これは友人のことを言っているのではなく、過去の私に向かって言っている。
可愛いだけだっていいじゃない。だって実際可愛い年齢なんだから。
時には手を抜いていたっていいじゃない。大人だって手を抜くこともたくさんあるんだから。
ボーッとしてたっていいじゃない。ところ構わず空想するのは子どもの得意技なんだから。
あんなにガミガミ怒らず、もっとその可愛さを楽しんでおけばよかった。可愛い可愛いと褒めてあげればよかった。未就学クラスの時はなにをやっても可愛い可愛いと言われていたのに、小学生になったとたん、急に「おねえさんになること」を求められ、今までと同じようにやっていたら叱られるなんて、子どもたちからしてみたら「なんで?」となって当然だ。
心に余裕がなかったなぁとあの頃の自分を振り返ってみて思う。自分自身が若かったということもあるが、「上達させなければ!」という使命感が強すぎたんだと思う。
自分自身が生徒だった頃も含め、私のバレエ人生を振り返ると、教師の情熱量と生徒の伸び具合というのは残念ながら比例しない。伸びる子は教師がなにもしなくてもどんどん伸びていくし、そうでない子でも年齢とともにそれなりに伸びて行く。
私はただアドバイスをして、見守っていればよかったんだ。ガミガミ厳しく言ったところで、そのガミガミのおかげで急激に良くなるなんてことはないのだから。
冷静と情熱
昔、冷静と情熱の間なんてドラマがあったが、この2つのさじ加減をするのは難しい。
10歳以下の子どもの気分はムラだらけ。それにいちいち一喜一憂して、私自身が子どもだったなぁと思う。厳しくするのは高学年以降で十分だった。高学年にもなれば、真剣な子は本当に真剣なので、いい加減な気持ちでやっているとあっという間に周囲から置いていかれるし、何よりトウシューズを履くと怪我のリスクも上がる。もうどこの誰から見ても、「可愛いだけのバレエ」は卒業している年齢だ。親ですら、手放しで褒めてはくれなくなるだろう。
でも10歳以下なら、教師も手放しで褒めてあげてよかったんだ。舞台上で笑顔で踊ってくれるだけで100点だったんだ。熱い情熱を持ちつつも、もっと冷静な目で見てあげていたら、健気に頑張る子どもたちを尊敬することもできたのに。
友人の発表会を通して、そんなことを反省した2日間だった。
(とはいえ、そんなことは友人にはもちろん言わないし、熱い情熱を持つ友人をこれからも応援している。)