ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

豆100%麺、ゼンブヌードル

ふたり暮らし。豆100%麺、ゼンブヌードル。

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グルテンフリー生活に憧れて

何年も前のことだが、いっときグルテンフリー生活を送っていたことがある。2年ほど続けただろうか。あの頃の身体の軽さ・快適さ・幸福感などを思い出すと、もう一度あの生活をしてみたいとよく思う。実際にこれまでも何度か挑戦してはみた。そしてそのたびに普通に挫折している。笑

 

スイーツ系とお好み焼き系は米粉で代用しても十分満足できるのだが、麺とピザとパンは小麦粉じゃないとダメだ。小麦粉以外のを散々食べ比べた結果、その結論に達した。
(あくまでも個人的な意見。)

 

豆100%でできた麺

そんな風に自分の中で結論が出ているにもかかわらず、今回懲りずにまた小麦粉以外の麺を試してみたことについて、我ながら愚かだなぁと呆れている。

 

今回試してみたのは、黄えんどう豆100%でできた麺、ゼンブヌードルだ。

 

食感はスパゲティというよりは素麺にかなり近い。しかも、素麺は素麺でも揖保乃糸ではなく、お安い素麺だ。これはかなり好みが分かれそうである。あたたかい麺よりも冷麺にしたほうがおいしいかもしれない。

 

ひと袋4食入りと書いてあるが、極細麺なので1食だと全然足りない。私は1度に2束食べた。1回目は食材がなにもなかったのでバターと醤油でシンプルに。2回目はトマトソースで食べた。

 

結果はトマトソースの圧勝。バター醤油だけでなく、たぶんペペロンチーノなどのシンプル系の味付けは、この麺にはあまり合わない気がする。麺の個性が強すぎるのだ。

 

手を抜くと舌にざらつきが残る

茹で時間は3分と短く、茹で上がった麺はぬるま湯で洗えと書いてある。1回目、私はその工程を端折った(端折るな)。そうしたら、なんとも言えない舌のざらつきと後味の悪さを感じた。2回目は記載通りにぬるま湯でよく洗った。舌に残るざらつきはかなり軽減され、後味も悪くなかった。

 

この麺をおいしく食べるコツは、茹で上がったらぬるま湯でよく洗い、濃い目のソースをかけることだと思う。もしくは冷製パスタなどにしたら麺の味を感じにくくなるのでいいと思う。

 

食と健康

外国産の小麦粉が身体に悪いことは、明らかな事実である。「そんなわけがない。食べ過ぎが良くないのであって、なんでも適度に食べる分には問題ない」と反論されることもよくあるが、グルテンフリー生活をやったことのない人に言われても説得力ゼロだ。一度グルテンフリー生活をやってみればわかる。身体も精神状態も全然違う。乳製品と砂糖も同様だ。

 

日本の昔ながらの和食は、私たち日本人にとってはもちろんのこと、他の国々の人にとってもものすごく優れた食事なのだと思う。質素な和食で何世代も命をつないできた日本人は、だから本当は世界一強く、賢く、優秀な民族なのだ。
(戦後どんどん弱体化させられてしまっているが。)

 

それをわかっていながらも、私は小麦粉に惹かれてしまう。それほど小麦粉の依存性はすごい。かつて、2年近くもの間グルテンフリー・シュガーフリー・乳製品フリー生活を続けたにもかかわらず、一度口にしたら堤防が決壊するかのように、それらを欲するようになった。

 

現代の日本でこれらを避けることはとても難しい。添加物も気にし出したらキリがない。日本の食事はヘルシーというイメージで来日した外国人(とくにインドやヨーロッパの人)の中には、安価なチェーン店やコンビニのお弁当を食べて、「これのどこがヘルシーなの?すごく身体に悪そう。イメージと違う」とがっかりする人も少なくない。

 

日本に住む日本人ですら、健康的な和食を食べようと思うと、正しい知識と相応のお金が必要になる。自炊しているから安心とはもはや言い切れる世の中ではない。こんなのおかしい。安心安全でヘルシーな日本食は一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 

私はピザもパスタもパンも大好きだ。だからもう割り切って小麦粉を食べている。でもまたいつか、あの快適だった食生活に戻したいとの思いも捨てきれていない。だからたまにこうやって悪あがきをして代替品に手を出しては撃沈してしまうのだ。

 

代替品はあくまでも代替品。小麦粉の代わりにはならないのであった。