ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

本音と建前疲れ

ふたり暮らし。本音と建前疲れ。

遠慮のかたまりを遠慮しない女

複数人でお茶や食事をしている時。最後に残ったひとつを遠慮のかたまりと呼んだりするけれど、私はその遠慮のかたまりを遠慮しない女だ。
(もちろん、ほかの人に確認を取ってから食べる。)

 

子どもの頃、親戚のおうちや親の知人のおうちにお呼ばれした際、出されたお菓子にすぐに手をつけるとあとで親にたしなめられた。「ああいう時はすぐに手を出さないの。相手の方がどうぞ、と言ってくださったらひとつだけいただきなさい」と。

 

そしてこうも言われた。「最後のひとつをすすめられたら、一度遠慮しなさい。それでもぜひどうぞ、と言ってくださったらありがたくいただきなさい」。

(子ども心に、なんだそれめんどくさっ!とは思ったものの、親の前では一応言う通りにしていた。)

 

自分が大人になった今、かしこまった席ではもちろん親の教えを守っているけれど、友人とのランチや職場の飲み会などでは、私は遠慮せずに最後のひとつをもらう。「最後の食べて~」「いいよいいよ、あなたが食べて~」などというやり取りが面倒なのだ。

 

食べたい人が食べたらいいと思うし、もしほかにも食べたい人がいたら、遠慮せずに名乗りを上げて、じゃんけんすればいいではないか。給食で余ったデザートやパンをかけてそうしていたように。

 

なんで大人になったら「遠慮するのが当たり前」になるのだろう。私は根っからの日本人だし、日本人であることを誇りに思っているけれど、この「本音と建前」の文化だけはどうしても好きになれない。

 

社交辞令を言い合うことが苦痛

以前、職場の休憩室に、かつて働いていた人が、自分の子ども(赤ちゃん)を連れて来たことがある。その場にいた人たちは、みんな口々に「わー!可愛い~♡」と言って赤ちゃんを囲んでいたのだけれど、私はそういう時、どうしても「可愛い」のひとことが上手く言えない。

 

子どもが嫌いというわけではないので、本当に可愛い赤ちゃんには「可愛い~!」と言って笑顔になれる。昔から、心から思っていることは照れずにサッと褒められるタイプなのだ。でも、自分的にあまり可愛いとは思えない赤ちゃんに対しては、お世辞でも「可愛い」が言えない。
(心にもない言い方になってしまう。)

 

みんな、ほんとに可愛いと思ってる?
お世辞言ってるだけじゃないの?
それとも、赤ちゃんというものはどんな顔でも可愛いと本当に本気で思ってるってこと?

私はいつもこんなふうに考えてしまう。
(性格悪。)

 

実際のところ、どうなのだろう?そういう場面でにこにこしながら可愛いと言える人は、よっぽど性格のいい人なのか、それとも笑顔の仮面を被ってお世辞を言っているだけなのか。

 

私はお世辞を言うことも苦手だけれど、お世辞を言われることはもっと苦手だ。相手がお世辞(社交辞令)を言っている時というのはすぐにわかる。お世辞を言われ、「いえいえ、そんなことないですよ~」と否定するのも面倒だし、「え~そんな…ありがとうございます~」とお礼を言うのも面倒だ。

 

ものすごく性格が悪いけれど、私は相手によっては、明らかにお世辞を言っているなと思ったら徹底的に否定することがある。

 

「髪の毛つやつやですね」→「ああ、これ濡れてるだけです」
「お肌白くなりました?」→「いえ、むしろ焼けました」
「少し痩せました?」→「いえ、まったく変わりません。今朝も計ったばかりなので」

 

当然、誰に対してもこんなに可愛げのない返し方はしない。ほとんどの場合はちゃんと大人な対応をしている。でも、明らかにお世辞とわかる言い方をされると、「それってなんの意味が?」と思ってしまうのだ。

 

人間関係を円滑にするためのお世辞なら、もっと上手く演技しろと思うし、お世辞を真に受けて喜ぶ姿を嘲笑いたいだけなら、そんなふうに思われている時点でその人とは縁を切りたい。

 

 

モブキャラの悩み

私は演技がへったくそなので、うまくお世辞が言えない。だからお世辞が必要そうな状況になると、黙ってモブキャラに徹するようにしている。

 

ところが、せっかく場の空気を壊さないようにモブに徹しているというのに、そんな私に対して「葉月さんも見て。ほら」などと言ってひとことを要求してくる空気の読めないやつもいる。

 

何を隠そう、私の母がこのタイプなのだ。

 

子どもの頃からお世辞を言い合うのが苦手だった私は、そういう場面では黙っている子どもだった。普段は大人の会話に口をはさむとたしなめられるのに、そういう時に限って母は、「ね?葉月」などと言って私のほうを向き、私になにか気の利いたひとことを言わせようとするのである。

 

心にもない気の利いたひとことなんて、そうスラっと出てくるわけがない。よくあとから母に、「ほんとに素直じゃないんだから、もう…」と小言を言われたけれど、この上なく素直ではないか。素直なひとことならいくらでも言える。でもそれを言ったらその場の空気が壊れるから黙っているだけだ。

 

 

お世辞と社交辞令で成り立つ大人の世界

私は子どもの頃より今のほうが断然自由で楽しいし、幸せだけれど、時々「大人の世界ってほんとに面倒だな…」とため息をつきたくなる。言わば大人の世界はお世辞と社交辞令で成り立っている。私ももちろんその世界の一員だ。でも時々、なにもかも嫌になってしまうのだ。

 

常々、無駄なお世辞や社交辞令を言わない正直なひとのほうが好感が持てる、と思っている私は、自分もそうしてみたことがある。でもその結果はあまり嬉しいものとは言えなかった。

 

女優の前田敦子さんは、アイドル時代「愛想がない」と言われていた。いつもどんな時でもにこにこしている大島優子さんと比べられては、「不愛想」「不機嫌そう」とアンチからバッシングされていた。

 

私は彼女が好きだ。あっちゃんが笑う時は、心から楽しい時だとわかるから。メンバーにも「敦子はお世辞を言わない。ほんとに楽しいと思った時しか笑わない」と評されていた。アイドルという仕事をする上で、愛想笑いやお世辞が上手く使えないというのは、非常にマイナス要素だったはず。

 

批判される痛みを引き受ける覚悟がないと、「無駄なお世辞や社交辞令を言わない生き方」はできないのだと知った。

 

痛みを引き受ける覚悟のない私は、だから必要に応じてお世辞も社交辞令も使う。でも、私が黙ってモブに徹している時は、その場にいる人全員のために、そっとしておいてほしい。