ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

常識非常識

ふたり暮らし。常識非常識。

返さない女

世の中にはいろんな特性を持つ人がいる。自分ではわからないだけで、私も他人から見たら「あの人なんかおかしくない?」と思われているのかもしれない。普通ってなんだろう?と最近よく思う。

 

高校生の時、人から借りたものを「絶対に」返さない友達がいた。絶対にだ。彼女に貸したものは絶対に返ってこないと有名だった。貸した物を自ら取り返しに行っても、家に持って帰っちゃってたり、又貸しされていたり、そもそも借りたこと自体を忘れていたりして、すんなり手元に戻ってきたことがない。取り返せた物もあればそのまま永遠の別れになってしまった物もある。

 

じゃあ何も貸すなって話だが、おバカでドジで愛嬌があり、物を返さない点以外はものすごくいい子だったため、周囲の人はみんな何かと手を貸したり世話をやいたりしていた。みんな陰では「あの子絶対普通じゃない」と噂していたが、当時はまだ発達障害とかそういう言葉は一般的ではなく、「なんであんなにだらしないんだろう?」とみんな思っていた。今から思えば何かしらの特性を持っていたのだろうと思う。

 

「火曜日もですか?」

教師をしていた時は、子どもたちの奇想天外な質問や発言の数々に、笑ったり感心したり呆れたりする毎日だった。子どもってほんとに面白いな、と微笑ましく思っていた。しかしそう思っていられたのは、相手が低学年(百歩譲って小学生の間まで)の小さな子どもだったからだ。

 

中学生にもなれば奇想天外な発言をしていたら「真面目にやれ!」となるし、それが何かを注意された時の反論だったりすれば「屁理屈言うな!」となる。ちなみに念の為ことわっておくと、私はとても優しい先生だったので、たとえ心で思っていてもそんな怖い言い方はしない。子ども相手といえど、ちゃんと一定の礼儀を持って接していた。

 

でも、こちらの予想を超えてくる子というのはいるものだ。

 

もともとぼんやりしがちでなんか話が噛み合わないというか、こちらの予想と違う反応を見せる子がいて、小さい頃はそれが可愛いと思っていたのだが、大きくなるにつれてイライラするようになっていった。

 

ある日、その子がレッスン前に更衣室で本を読んでいた。レッスン前というのは、ストレッチやウォーミングアップをしたりして、万全の体勢でレッスンに臨むための準備時間である。学校の宿題ならまあ仕方ないが、のん気に読書なんてしている場合ではない。ほかの子たちはちゃんとストレッチしている。

 

当然私は注意した。
「◯◯ちゃん、本なんか読んでないでウォーミングアップして。あと、レッスンに関係ない物は持って来ちゃダメ。」
その子は素直に返事をした。その日は月曜日だった。

 

翌日。

 

レッスン前にふと覗くと、その子がまた本を読んでいる。私はピキッ💢となり、強めに言った。
「ねぇ昨日注意したじゃん💢なんでまた本読んでるわけ!?」
(どこが優しい先生だ。)

 

するとその子はきょとーーーんとした顔で(この顔がまたイラッとするのだ)

 

「え?火曜日もですか?」

 

と言ってきたのである。いやいやちょっとやめてよ。叱っているのに吹き出しちゃったじゃん。

 

「当たり前でしょ!?月曜日も火曜日も水曜日も木曜日も金曜日も土曜日も日曜日もダメ!!もう本は持ち込み禁止!!」

 

子ども相手にめったにキレない私がキレるのは、たいていこの子が相手の時だった。困ったのは、この子はその後、「本は」持ち込まなくなったのだが、それ以外のレッスンに関係のない品々は普通に持ち込んでいたことである。注意し続けるのも疲れ、私はだんだん見て見ぬふりをするようになっていった。

 

高校受験でバレエを辞めてしまったのでその後のことは知らないが、無事に大人になっているのかかなり心配である。

 

その自信はどこから

小学生の時のクラスメイトに、何か気に入らないことがあるとすぐに「自殺してやる!!」と叫んで高いところによじ登る男の子がいた。

 

1日に1回は必ず起こる現象なので、クラスメイトたちはもう誰も反応しない中、先生だけが業務上仕方なく、なだめたり叱ったりしていて、子ども心に「先生も大変だなぁ…」と思っていた。

 

学年一番の問題児だった彼。自殺願望の激しい彼の夢は、普通の少年らしいサッカー選手だった。

 

と聞くと、「サッカーを習っているのかな?」と普通は思う。うちの地域は少年サッカーの盛んな地域で、学校にもサッカークラブがあったし、◯◯少年サッカー部というクラブチームも学区ごとに存在していた。クラスメイトにもサッカーを習っている子はとても多かった。

 

にも関わらず、その自殺願望のある彼はサッカー未経験だったのである。

 

「小学生時代にサッカーを習っていなければ、将来サッカー選手にはなれない」とは言い切れないが、でも可能性が低いことはサッカーをよく知らなくたってわかる。少なくとも、学校のクラブ活動でくらいはボールに触れていないとダメだろう。

 

でも彼はサッカークラブではなくべつのクラブに所属していた。何かは忘れたが。でも夢を書いたり発表したりする時には必ず「サッカー選手になる」と言っていて、しかも「なりたい」ではなく「なる」と宣言しているところに、その自信はどこから?と全員が思っていたと思う。

 

大人になり、願望や夢というのは、「◯◯したい」ではなく、「◯◯する」と言いなさいとはよく聞くようになったが、彼のようになんの根拠も下地もなく、「サッカー選手になる」と宣言するのでも効果はあるのだろうか。あの彼が今頃何をしているのか、どうでもいいけどちょっと気になる。ひとつだけ言えることは、自殺はしていないだろうと言うことだ。自殺してしまう人は人知れずしてしまう。死ぬ死ぬ詐欺をするようなやつはきっと長生きするであろう。

 

視点を変えれば全員変な人

私はよくここで義母のことを変わった人だとディスっているが、義母から見たら私のほうが変わっているともいえる。

 

自分の常識は相手の非常識。

 

日本人同士ならそう考え、イライラするよりもおおらかに許容しながら生きていったほうが断然楽しい。むしろ、いろんな人がいるからこそ、この世は楽しいのかもしれない。

 

ところで記事のタイトル「常識非常識」。何度も見ているとゲシュタルトが崩壊するのは私だけだろうか。