ふたり暮らし。生きてるだけで。
身近な人の死
この1年の間に知人が4人も亡くなった。ひとりは私の母の友人、ひとりは私の地元の同級生、ふたりは夫の友人知人だ。母の友人は60代後半、あとの3人はまだ40代という若さである。
夫の友人知人はこの2ヶ月で立て続けに亡くなった。ひとりは奥様が妊娠中だと聞いて、夫はちょっと塞ぎ込んでいる。話を聞いた私も暗い気持ちになった。母の友人は数年前から癌を患っていたが、私の同級生と夫の友人知人は突然死である。脳梗塞だったか脳出血だったかで、いずれも家族が発見した時にはすでに亡くなっていたのだそうだ。
子どもの頃、死はとても遠いところにあった。中学生の時に父方の祖父が亡くなったのが、身近で死というものを体験した初めての経験だったが、遠くに住んでいたのであまり悲しかった記憶はない。
祖父の死から約10年後、人生でもっとも悲しい出来事があった。愛犬の死だ。
私の5歳のお誕生日に我が家に迎えた愛犬は、私が23歳になるまで生きてくれた。わんちゃんとしては大往生だが、私はその後何ヶ月も立ち直れなかった。こんな思いをするぐらいなら、もう二度とペットは飼わないと思った。あれ以上に悲しい出来事は、今のところない。それはとても幸せなことなのだろう。
ちなみに、今実家にいるわんこは、数年前に近所で産まれた子犬を、母が「◯◯(以前のわんこ)に生写しだわ!」と言って父に相談もせずに勝手に連れて帰ってきた子である。父も母も私と同じでもうペットは飼わないと言っていたくせに、子犬を目の前にするとそんな決心は一瞬で吹っ飛んだようで、そのあまりの溺愛ぶりに、この子が亡くなってしまったら両親が一気にぼけてしまうんじゃないかとちょっと心配している。
子猿の入会
少し前に、元生徒Sちゃんとそのお母様とでランチをした。Sちゃんは20代半ば。とても素敵な女性である。
スラッと背が高く、お母様に似て聡明な顔立ちをしている。何年も見てきたはずの顔なのに、今ではまるで知らないお嬢さんだ。隙さえあればひっきりなしにしゃべっていた落ち着きのなさはどこかへ消え、私とお母様の会話を邪魔することなくお行儀よく座っている姿に感動すら覚えた。一体あなたは誰なの?笑
こんな素敵なお嬢さんであるSちゃんだが、彼女はかつて教室一番の問題児だった。大袈裟に聞こえるかもしれないが、Sちゃんが命を落とさずに無事にこうして大人になったというだけで奇跡のように感じる。
Sちゃんがどんな子どもだったか、そのエピソードを語り出すと日が暮れるのでごくかいつまんで述べるが、無理矢理ひとことで言うと、とにかくものすごく無鉄砲で乱暴な子だったのである。
4歳で入会し、お祖母様が張り切って買ったという、まるで舞台衣装のようなフリッフリキラッキラのレオタードを着た可愛いSちゃんは、レッスン初日に初対面の子を引っ掻いて泣かせた。
わーーーーん!と泣いて逃げまどうその子を追いかけまわし、追いつくと今度は髪の毛を引っ掴んで振り回した。可愛い女の子たちばかりのほのぼのとしていたレッスン室は、戦場さながらの恐怖の場と化し、保護者の方たちは総立ち、Sちゃんのお母様は怒鳴り散らしながらSちゃんを外へ引きずり出し、まだ20歳そこそこだったぺーぺーの私は呆気に取られて立ち尽くすことしかできなかった。
言っちゃあ悪いが、まるで猿のようだと思った。こんな子は私の手には負えない、入会はお断りしよう!と即座に決めた。
最終的にSちゃんの入会を受け入れようと言ったのは、当時私と一緒に教室運営をお手伝いしてくださっていた先輩教師である。ふたりの息子さんを育て上げたベテランのその先生は、「ちょっと様子を見てみましょう。Sちゃんのレッスンの日は私も入るようにするから」と、Sちゃん専属の補助教師として2年間付き添ってくださった。
当然Sちゃんの評判は悪かった。Sちゃんと違う曜日にレッスンさせたいと希望する保護者が続出した。私も暴力的で落ち着きがないSちゃんをどうしても可愛いと思うことができず、こんな猿にバレエなんて似合わない、早く飽きて辞めてくれないかなと思っていた。
猿を人間に育て上げたお母様
そのSちゃんが今、人間の姿をして目の前にいる。信じられない気持ちだ。
ベテラン先生とお母様の努力によってSちゃんは多少落ち着き、小学生になる頃にはどうにか私の手にも負えるようになった。私自身も強くなったのだと思う。
Sちゃんはその後大学1年生までバレエを続け、なんとパドドゥ(男性と踊る主役級の踊り)を踊るまでに成長した。あの暴力的だった子猿が、小さい子たちの憧れのお姉さんになったのである。
小さい頃のSちゃんは、大人が捕まえておかないとどこにすっ飛んで行ってしまうかわからないような子だった。一瞬の隙をついてはレッスン室から脱走し、レオタードのまま道路で捕獲されたことも多々ある。あの頃の私は小さい子に対する知識がなかったので、驚きつつもそういう子もいるのかと思っていたのだが、4〜5歳の、しかも女の子があそこまで制御できないのは、後にも先にもSちゃん以外に見たことがない。きっとお母様はものすごく悩みながら育児していたのだろうなと思う。
そして今改めて思うのは、Sちゃんが無事に今生きているだけで、すごい奇跡なのだということだ。だっていつ事故って死んじゃってもおかしくないような子だったのだから。脱走だけでなく、目を離した隙にバーにぶら下がって頭から落ちたり、バーを平均台のように歩いて落ちて足を挫いたり、更衣室の棚をよじ登って棚ごと倒れたり、走ってきて鏡にバーーーン!!とぶつかって床に頭を打ったり。何万回怒ったかわかりゃしない。
(正直、当時は鏡のほうを心配したが。)
バレエ教室でこれなのだから、家や学校ではもっとずっと危険なことばかりしていたのだろう。不思議と大怪我はしなかったが、手脚に生傷の絶えない子だった。ご両親は寿命の縮む思いばかりしていただろうなと思う。
とんでもない跳ねっ返りのじゃじゃ馬だったSちゃんを育てていた時のお母様は、今の私よりも年下だ。もう尊敬しかない。Sちゃんが素敵な女性になったかどうかなんてじつはどうでもよくて、無事にこうして大人になれただけで、それはもうすごい奇跡なのだと思う。ご両親はすごい偉業を成し遂げたんだなと思う。
「生きてるだけで丸儲け」。生きていることは決して当たり前のことではないのだ。
今、この瞬間から始めよう
子どもの頃、1年はとても長かった。大人たちが「もう年末ね。早いわねぇ」と言っているのがよくわからなかった。毎年クリスマスやお正月まではとてつもなく長く感じられたし、なんなら1学期だけで永遠に感じられるくらいに長かった。
でも今は、1年どころか10年ぐらいあっという間に感じる。自分は何も変わらないのに(老けたけど。笑)、生徒さんたちは大人になり、心も体も別人のように変化している。私があっという間に感じている10年も、この子たちにとっては長い年月だったのだろう。
今日、生きていることが奇跡のこの世界で、私ももっと何かをしたいと思う。Sちゃんのお母様は、「怒涛の20年間でした。最近になってようやく自分の人生が再開した気がします。最近また合唱を始めたんです。この子を育ててるうちにこんな声になっちゃったけど、若い頃はこう見えて美声だったんですよ。笑」とおっしゃっていた。
子育てというひと仕事を終えてからも人生は長い。でも、まだまだ長いと思っていたらあっという間に10年20年経ってしまうのかもしれない。一度、英語の目標学習時間を大幅に減らした私だが、最近また1日3時間を目標に勉強するようになった。
持っているものは失ってからその有り難さに気づくもの。やりたいことは明日からではなく、今この瞬間から始めよう。
そんなことを考えていたら洗濯機が止まったので、いつもならちょっと放置しちゃうところだがすぐに干してこようと思う。こういう小さな心がけがいつか人生を変える…のかもしれない。
「明日世界は滅びるかもしれない。でも私は今日、りんごの苗を植えよう」
(マルティンルター)