ふたり暮らし。言語を操る。
スタートの前段階
英語学習を始めて半年がたった。私の場合、高校英語レベルはゼロからのスタートだったため、教材はDUO3.0での学習をメインに行っている。
途中挫折期間もあったが、このたびようやく10周した。ほんとうは10周どころか20周も30周もしないとしっかり身につかないのだが、とりあえず目標だった10周をクリアできたのでいったん止めにすることにした。ちなみに筆記試験を受けるわけじゃないので、綴りはあまり覚えていない。
単語教材と同時進行していたのが、ニュース読解のアプリだ。英語で書かれたニュースを読み、最後まで読んでから訳すのではなく、文章の頭から順番にイメージしていく練習である。知らない単語が出てきても、意味を調べずに予測して読み進めるというのがルールだ。最初のうちは知らない単語が多過ぎて意味不明なまま読み終わることが多かったが、単語学習が進むにつれて少しずつ理解できるようになってきたなという実感があった。
ここまでけっこう時間がかかってしまった。ここからが英語学習のほんとうのスタートともいえる。
発音矯正
英語学習にはいろいろな進め方があると思うが、まずは曖昧にしか覚えていなかった発音記号を確認しながら、自分の発音を矯正していくことにした。
子どもの場合は耳コピして真似することができる発音も、大人になってから覚えた言葉だと難しい。母音の発音が正しくできないと単語の意味が変わってしまうため、私の発音がSiriに正しく通じないのはこの基礎部分ができていないせいだろう。Siriはけっこう厳しいのだ。
自分の発音が良くなると、リスニング能力も上がっていく。それは留学時代にも感じたことだった。自分できちんと言えない単語や文章というのは正確に聞き取ることもできないのである。
発音矯正というと難しく聞こえるが、要は発音記号と口の形や喉の使い方をきちんと覚えましょう、ということだ。英語学習の中でも内容量の少ない項目なので、永遠に終わらない単語やイディオムを学習し続けるより、先に発音矯正に取り組み、それと同時にディクテーション(聞いたまま書き取る練習)をすることを義母に勧められた。
ディクテーションでつまずく
ディクテーションとして、取りあえず観たことのない海外ドラマを字幕なしで見始めたのだが、悲しいことにこれがまったく理解できず。早口すぎて聞き取れないのである。どんなに覚えたつもりの単語でも、JAPAN、apple並みにインプットできていないと何の役にも立たない。 一瞬でも単語の意味を考えてしまうと置いてけぼりになってしまう。
たった数秒のセリフを何十回も戻して聞き、ノートに書き起こしていく作業。わからない単語は取りあえず聞こえたままカタカナで適当に書いていく。
45分ほどの1話を書き起こすだけで約4日(8時間くらい)もかかってしまった。そして書き起こせたところで、過去形・未来形などが正確に聞き取れていないため、なんか意味の通じない展開になっている。そもそも、セリフがひとっことも聞き取れない俳優さんすらいる。
これは今の私にはレベルが高過ぎるような…。
でも義母は、それでいいから続けてみてと言う。義母がイギリスに留学していた頃は、今のように動画サイトが充実していなかったため、とても苦労したそうだ。ルームシェア相手のイギリス人と、時間を見つけては一緒にドラマや映画を観て、観終わったあとであらすじを教えてもらったり、メモっておいたセリフや単語を解説してもらったりしたそう。解説なしでストーリーが理解できるようになったのはずいぶん経ってからだったらしい。
複数の言語を操ること
もうずっと会っていないが、かつて家族ぐるみで仲良くしていた友人に、日本語の不得意な子がいた。
海外で産まれ、5歳で日本に帰国し、そこから4年生まで日本の小学校に通った。私と友達になったのはその時である。その後また海外に転勤になり、そこでは日本人学校ではなく、インターナショナルスクールに通っていた。高校・大学とアメリカで進学し、そのまま現地で就職。グリーンカードを取得した今はもうほとんど日本には帰ってこない。
高校生くらいから、一時帰国した時に私と会っていても、会話の途中で「なんて言えばいいんだっけ…」と日本語を思い出そうとする場面が多かった。語彙力も小学生時代で止まっており、年相応の会話ができない感じだった。
日本語を忘れないようにと、ご両親は日本の高校生新聞を取り寄せ、毎日読むように言っていたそうだが、それが彼女は苦痛で苦痛で仕方ないと言っていた。読み書きの能力も小学生時代でほとんど止まっているようだった。
家での会話はもちろん日本語だったが、彼女はどんどん日本語が不得意になっていった。なっていったというよりは、日本語のレベルが上がらなかったというのが正しい。年齢に見合った言葉を扱えないのだ。
現在、ご両親は退職して日本で暮らしている。時々会うことがあるのだが、
「娘と深い話をしたくても、お互い上手く言えない。伝わらない。」
「世界で活躍する人になってほしいと思ってインターに入れてきたんだけど、親としては少し寂しい。」
と言っていたのが印象的だった。
言語は自分を相手に理解してもらうための手段である。とくに日本語には外国語にはない表現がものすごくたくさんあるため、日本語以外で言えない感情や情景などがどうしても伝わらないのだろう。母国語が違う者同士というのは、日常会話には困らなかったとしても、双方の間にそびえ立つ言葉の壁はずっと崩れないままなのかもしれない。
今は親と母国語が違うという人も昔より多い。バイリンガルって憧れる〜!と思いがちだが、当事者には当事者たちの苦労があるのだな、と思う。とくに日本語と英語はもっとも遠い言語といわれているので、その苦労の大きさは推して知るべし。
そして、そんなもんをがんばって勉強してるなんて、私ってえらいなー!と自分で自分を褒めている。