ふたり暮らし。右京さんの安否。
唐突な質問
先日実家でテレビを観ていたら、母が唐突に訊いてきた。「小学校1年生の鉛筆って2Bよね?」。
いきなりなんの話かと思うが、母はしょっちゅうこういう話の切り出し方をする。それまでの会話の内容となんの脈絡もないので、訊かれたほうは脳内に「?」マークがいっぱい浮かぶ。私は母の娘を40年以上もやっているが、未だにそうだ。小学1年生の鉛筆?そんなはるか大昔のことを覚えているはずがない。むしろ幼い私のあやふやな記憶よりも、お店で選んで購入していた母の記憶のほうが正しいのではないだろうか?
私がそう言うと、母はそれには答えずに続けて言った。「最近の子は筆圧が弱いからBじゃダメなんだって!知ってた?」。
(いや知らん。)
これは一体どこへどう繋がる話だろう。つい今しがたまで狂犬病の予防接種の話をしていたのに、いきなり子どもの筆圧の話だ。しかも私の意見は華麗にスルーである。いつものこととはいえ、いつも通りイラッとしながら話の続きを聞く。
出だしは鉛筆の話だったが、今は近所に住むKさんの出産話になっている。Kさんは私と同世代のご夫婦で、2〜3年前に引越して来た人だということは以前から聞いていた。母の話によると、引越してきてすぐに2番目だか3番目だかのお子さんが産まれ、最近もうひとり産まれたそうである。
私の実家は古くからの住宅街ではあるが、べつにご近所付き合いが盛んな地域というわけではなく、近所の人は両隣の人くらいしか知らない、という人も多いだろう。にも関わらず、引越して来て2〜3年のご家族の内情に詳しい母に驚く。お子さんのことだけでなく、Kさんご夫婦の職業やKさんのご実家のことまで知っている。実の母親に対してこんなことを思うのも悪いが、母ははっきり言って私がいちばん付き合いたくないタイプのご近所さんである。Kさんにも疎ましく思われていたりしないだろうか。
世間の常識
母のまわりくどい話をまとめると、Kさんの1番上のお子さんがこの春1年生になったので、入学祝いに鉛筆をプレゼントしたいのだそうだ。
私はこういうのを迷惑に思ってしまうタイプなので、「入学祝いなんてやめときなよ」と言った。母とKさんの仲がどれくらい親しいのか知らないが、私がKさんの立場なら近所のおばさんに入学祝いなんてもらってしまうとお返しに気を使うので困る。新1年生の学用品なんて、親や祖父母がたくさん買っているに決まっているのだから、他人は余計なことをしないほうがいい。会った時におめでとうと言えばいいじゃないか。しかもKさんには子どもが何人もいるのだ。ひとりやり出したらキリがない。
しかし予想通りではあったが、私がそう言って止めても母は聞く耳を持たなかった。というか、もうすでに名前入りの2Bの鉛筆を注文済みなのだという。じゃあ冒頭の質問はなんの意味があるわけ!?とキレたくなるが、キレても仕方ないのでイライラを抑えることに専念した。母という人は昔っからこうなのだ。
さらに母は、なんとKさんに出産祝いまで贈っていたらしい。私が知らないだけで、世間一般では近所の人に出産祝いを贈るのは普通のことなのだろうか。私がもらう立場だったらお返しが面倒だから頼むからやめてくれと思ってしまうが、普通はもらったら嬉しいものなのだろうか。
母いわく私は世間知らずらしいので、それならもう何も言うまい。そうですね、私はたしかに世間知らずだし、私も夫も人からよく「変わってる」と言われるのできっとそうなんだろう。親の顔が見てみたいもんですね。
ドロドロの遺産相続争い?
Aちゃんて覚えてる?ほらあの、あれがああでこれがこうだったあのAちゃん。そうそうその人!Aちゃんね、長年お付き合いしてた人がいたでしょ?最近その人が亡くなっちゃってね、B君っていうんだけど。B君はアパートとかマンションとかいっぱい持ってて、すごいお金持ちでね、AちゃんはB君のお母さんの介護までしてずっと面倒を看てたのに、B君の遺産は全部娘さんに取られちゃったんだって。B君はAちゃんと近々入籍する予定だったのに突然亡くなっちゃったもんだから、Aちゃんには一銭も入らないみたい。え?内縁関係の証明?そういう公的書類は作ってなかったみたいよ。裁判?え、裁判すればいくらかもらえるかもしれないの?へぇ、そうなのねー。でもまあAちゃんはそういうことしたくないんじゃないかなぁ。B君の別れた奥さんにもいろいろ言われていたらしいから。いやがらせってほどじゃないけどね。でも面白くはないじゃない?元奥さんとしては、ねぇ?それにしても遺産相続ってなるとやっぱり子どもの立場って強いのねぇ。もう何年も会ってなかったらしいのに、もらえるもんはすべてもらうのねぇ。え?べつに娘さんは悪くない?まあそうね、たしかにね。でもねぇ、人としてどうかと思うわよねぇ。だってB君のお世話だってずっとAちゃんがやってたわけでしょ。B君のお母さんなんて自分のおばあちゃんてことじゃない。介護までやってもらったんだから「お世話になりました」っていくらか渡してくれたっていいと思わない?しかも娘さんひとりっこなんだって!あれだけの財産全部もらえるってすごいわよ。葉月もひとりっこでよかったわね。まあうちは遺産なんてたいしてないと思うけど!あははは〜!…あ、夕飯何がいい?
顔も知らない他人の入学祝いと遺産相続の話を聞いていたら、観ていた相棒が終わった。右京さんがなんだか大変な目に遭っていたようだが、入学祝いと遺産相続のせいでドラマの内容はさっぱり頭に入らなかった。
夕飯何がいい?と訊いてきた母は、私の答えを聞く前にキッチンに行き、冷凍庫から何かを取り出している。母の中ではもう、訊く前からメニューは決まっているのだ。なんかどっと疲れたのでテレビを消して愛犬の肉球の匂いを嗅いだ。
入学祝いも遺産相続もどうでもいいが、右京さんの安否は非常に気になるところであった。