ふたり暮らし。食い意地の別名。
趣味を訊かれるのが嫌だった
昔こんな記事を書いた。↓
久しぶりに読み返してみて、自分でも自分のことがなんてまあ可愛げのない女だろうと思う。でも、この記事に書いてあるのは当時のとても正直な気持ちで、他人から趣味を訊かれることを長年モヤモヤと感じてきたのは事実である。
ところが、この記事を書いてから1年半ほど経った今、私の気持ちは変化した。
今、誰かに趣味を訊かれたら、私は「食べること」と答えられる。夫が料理をするようになったということもあり、作ることも食べることも、以前よりずっと好きになった。このブログでもしばしば食べものの記事を書いているが、「食」は私たち夫婦共通の趣味と言っていいのかもしれない。
(単に食い意地が張っているだけとも言える。)
昔は食べることにはあまり興味がなかった。10代から食事制限をしていたせいで、食べる=いけないこと、という強迫観念がずっとあったからだ。でも夫と出会ってワインのおいしさを知り、「食事を楽しむ」という当たり前のことができるようになった。
親しくない人に趣味を訊かれるのが嫌だという私に、夫が「趣味は食べること。とかでいいんじゃない?俺も最近は料理が趣味って言えるようになったし」とアドバイスをくれ、あ、たしかに!と思ったので、これからはもう誰に趣味を訊かれても怖くない。私の趣味は「食べること」だ。
成長を感じた7年間
もともと料理は全然得意じゃない。とくに計量作業のあるお菓子作りは大の苦手だった。
(今もべつに得意ではない。)
7年ほど前に体質改善したのを機に、食べたいものがあったら自分で作らざるを得なくなり、たくさんの失敗をしながらも、様々なお菓子作りに挑戦した。今まですっかり忘れていたが、そういえば米粉パン作りにもハマっていた。
作り慣れないといつまで経っても面倒なままなので、一時期は毎日のように何かしら作っていた。私は昔から「シフォンケーキに顔を突っ込む勢いで食べてみたい」という夢があったのだが、その夢も叶いたい放題叶った。「お菓子もケーキもパンも、気合いさえあればなんでも家で作れるんだな」と学んだ。
料理をすることに価値を感じていなかった私は、それまではなんでも買ったり食べに行ったりしたほうが安いと豪語していた。ふたり暮らしだと食材も余らせがちだし、今時はコンビニのお惣菜もスイーツも優秀だ。わざわざ手作りするなんて、大家族かお料理好きな人のやることだと思っていた。
でも自分でいろいろ作るようになって料理の楽しさを知り、食材の知識も増え、その考えは180度変化した。自分の身体は食べたものでできている。だから料理することは夫と自分を大切にすることなのだと強く感じるようになった。
今はもう、たくさん集めたケーキ型もほとんど手放し、以前ほどいろいろな種類のお菓子は作らなくなったのだが、あの頃にたくさん挑戦した経験は、間違いなく私を成長させてくれたと思う。
コロナ禍で変化した食生活
体質改善から2〜3年は、月に一度だけ自宅で宴を開催することを自分たちに許していた。普段は小麦も白砂糖も乳製品も避けていたが、この日だけは好きなワインを飲み、好きなものを食べてもいいことにしていた。
コロナ禍になる直前に転勤になり、コロナ期間中、夫が料理にハマった。それをいいことにやたらと家で飲む日を増やし、ふたりで新しいレパートリーに挑戦したり、ちょっとお高いワインにも手を出したりした。今思うと、その街では決まったお店以外ではあまり外食をしていなかった。
そして再び転勤になった。この街はおいしいお店があり過ぎる。普段の食事は変わらないが、外食の回数は5年前よりも明らかに増えた。でも今はこれが私たちの趣味なのでそれでいいと割り切ることにした。食の四毒を断っていた頃の快適な身体はたしかにすっごく魅力的なのだが、おいしいものを食べることの楽しさのほうに今は軍配が上がってしまう。
(それでも一応、それぞれの摂取量にはかなり気をつけてはいる。)
またいずれ、急にストイックな食生活がしたくなる日が来るかもしれない。それこそもし病気になったりしたら、それが食生活を見直す時だ。新しく答えられるようになった趣味、「食べること」。その内容は変わっても、食に対する興味はこれからもずっと失われることはないだろう。