ふたり暮らし。親が決めた習い事。
子どもの習い事は親が選んでもいい?
バレエの先生をやっていた頃、よく親戚とか友人たちから「子どもの習い事って、やっぱり本人がやりたいって言い出すまで待ったほうがいいの?親がやらせたやつは続かない?」と訊かれた。
私の答えは「その子による」だ。
求められている回答じゃないことは百も承知だ。でもこれ以外に答えようがない。本人が言い出すのを待っていたら、いつまで経っても何も言い出さない可能性もあるし、親として「これやってほしいなー」という希望があるのなら、親の特権を利用してやらせてみてもいいんじゃないかな?とも思う。それが続くか続かないかはその子次第。ぶっちゃけ運の要素もかなり大きいのでは。
個人的にあまりよくないんじゃないかなーと思うのは、「自分からやりたいって言ったんだからがんばって続けなさい」というやつだ。実際にやってみたら自分には合わなかったことって大人でもあるんだから、子どもに対して「自分の発言に責任を持て」というのは酷である。
かくいう私は、バレエ、ピアノ、書道、英語、スイミングを習っていたが、すべて親主導で始めた習い事だった。
ピアノと書道は父の希望で。英語とスイミングは母の希望だ。バレエは、私がお箸の先にリボンを巻きつけ、テレビでやっていた新体操の真似をして踊っているのを見た母が、「バレエも新体操も似たようなもんでしょ」と大いなる誤解をして近所のバレエ教室に連れて行ったのが始まりである。
これらの中で、自分にもっとも合っていておそらく才能があったと思うのは書道だ。「バレエじゃないんかい。笑」とつっこまれそうだが、そうなのだ。バレエに関しては才能があったわけではなく、たまたま入ったお教室が厳しいところで、周囲の雰囲気に流されてひたすらレッスンしていただけ、というのが正しい。自分に合うとか合わないとか考える余裕もなく、気がついたらバレエが大好きで、バレエ中心の生活になっていた。
それに対して、書道ははっきり自分に合っていると思っていた。初めて教室に行って正座して筆を取った時、子ども心にしっくりきたのを感じたのだ。仏教系の幼稚園に通っていて正座に慣れていたこともあり、私が30分間身じろぎせずに先生のお手本をなぞる姿を見て、先生は「幼稚園生にはまだ早いと思ってお断りするつもりだったんですけど、葉月ちゃんなら特別にお引き受けしますよ」と言ってくださったそうだ。
バレエやスポーツなどの運動能力に限らず、書道の才能も遺伝の要素は大きいと思う。なぜなら、父を始め父方の親戚には達筆な人が多く、曾祖母はとある歴史上の人物の墓石の下書きを依頼されたという、ちょっとした書道の達人だったからだ。だから父は私に書道を習わせたかったのである。
(ピアノのほうは、父がギターが趣味だからいつか一緒に演奏できたらいいなと思ったとのこと。)
書道は師範の資格を取るところまで続けた。途中ブランクはあるものの、じつはバレエとあまり変わらないくらいに熱心にやっていたのである。先生がご主人の転勤でお引越しされたあとも、通信のような形で添削していただきながら自宅で続けていた。
バレエを習っていると正座は御法度なので、きちんと正座して書いていたのは小学生の間までだったが、今でも長時間の正座は苦ではない。それだけでもう、このジャンルが合っていると言えるのではないだろうか。
自分で言うのもなんだが、書道のほうがバレエよりよっぽど上手なのである。笑
楽しかった英語とヤマハ
英語はいかにも教育熱心な母らしい、と思う。でもこれも私には合っていたようで、幼少時代に楽しく英語を習っていた記憶があるからこそ、中学の英語の授業も好きになれたのだと思う。小さい頃に覚えた英語の歌やお話は今でも記憶に残っている。
中学生になってリスニングにあまり苦労しなかったのは、幼少期に英語に触れていたことと、このあとに書くヤマハの影響がかなり大きいと思われる。よく「バレエと音楽はセットで習わせろ」と言われているが、語学でも同じな気がする。
ヤマハはアンサンブル教室に通っていた。いろんな楽器を使ってみんなで合奏するクラスで、ピアノ以外の楽器もたくさん練習した。すっごく楽しかったのに、小学2年生の時に、母が「ピアノをやるなら個人の先生のレッスンを受けないと」という余計な情報を知人から仕入れたせいで、私のピアノへの想いは変わってしまった。
ヤマハでは耳から音を覚えて楽しく歌いながら曲を暗譜していたのだが、個人のお教室では自分で楽譜を読まないといけない。譜読みが遅いことと指の力が弱いことを厳しく指摘され、面白くもなんともない練習曲だけの楽譜をやらされた。
あとから知ったことだが、その先生はコンクールで入賞者を出すような有名な先生だったらしく、基礎を教わるにはとてもいい先生だったのかもしれない。でも私は大好きだったピアノが一気に嫌になった。
小学3年生の時、思い切ってピアノを辞めたいと母に言うと、母は「せっかく上手になってきたんだからもう少しがんばりなさい」と言った。それまでにも何度か、「ピアノ行きたくない」とは言っていたのだが、ピアノを弾くこと自体は好きだったので、好きな曲を適当に弾いて遊ぶこともよくあったのだ。だから母は「今はつまらなくてもそのうち絶対楽しくなるから」と思って励ましてくれたのだろう。でもそれが私には逆効果だった。
そのうちピアノのレッスンを仮病を使ってすっぽかすようになり、母にも先生にも叱られながらイヤイヤ続け、4年生の時にようやく辞めることができたのである。
その後も10年以上の間、実家にはピアノが置いてあったが、物置と化したそれが目に入るたびに、挫折したピアノの思い出がよみがえってきて心の負担だった。だから母が「ピアノ邪魔だから売っちゃってもいい?」と私に訊いてきた時、「え!?私に所有権があったの!?じゃあもっと早く訊いてよーーー!」となった。笑
ピアノの先生にはいい思い出はまったくないのだが、それでも今の私が言えることは、小さい子に基礎を教えるのは大変だということだ。だって面白くもなんともないんだから。バレエだってそうだ。だから低学年までの小さい子のクラスは若くて優しい先生に担当させるお教室が多い。いきなり大先生が基礎にうるさいレッスンをつけたら、ほとんどの子はバレエを好きになってくれないだろう。
私に基礎を叩き込もうとしたあの先生は、基礎の大切さと弾くことの喜びを知っているからこそ、自分の生徒にもそれを知ってほしいとの思いで厳しく指導してくださったのだと思う。私には合わなかったというだけで、同じ先生のもとで長年ピアノを続けていた友達もいる。いい先生だったのだ。
トラウマな水泳教室
母の強い希望で無理矢理やらされたのがスイミングだ。最初にことわっておくと、現在の私は1mも泳げない。というか、水に顔もつけられないくらいの水恐怖症だ。
「万が一の時に自分の身を守れるように」との願いで、私が小学1年生の時に夏季限定の水泳教室に入れた母。
私はインドアな子どもだったので、小さい頃にあんまりプールで遊んでこなかったのだ。庭にビニールプールを出してもらっても、ちょっとぽちゃぽちゃっとしたらすぐに家の中に引っ込んでいた。ビニールプールの中から、母が洗濯物を干すのを水に浸かってぼけーーっと見ていた記憶だけがある。
(ただの露天風呂状態。笑)
小学生になって初めてのプールの授業が衝撃だった。プールの底におもちゃやボールを落とし、潜って拾いましょう!というやつで、みんなが躊躇なく水に潜って行くのを見て驚いた。潜るのが怖かった私は足で拾い集めた。先生には「葉月ちゃん器用ねえ。笑」と言われただけで、とくに注意はされなかった。
家に帰って母にその話をすると、母は焦ったのだろう。このままでは娘は金づちになってしまう!どうにかしなければ!と。
夏季限定の水泳教室に入れられた私は、もうプールが嫌で嫌でしょうがなかった。毎日超ブルーな気持ちで2週間通った。水に顔もつけられないような子が、たった2週間で泳げるようになるわけないじゃないか。コーチたちも容赦がなく、今なら保護者からのクレームが怖くてできないような指導の仕方に2週間耐えた。おかげ様で、私は立派な水恐怖症に成長し、現在に至る。怒
驚くことに、その夏季限定の水泳教室に、母は3年連続で通わせたのである。往生際が悪いとしか言いようがない。今の私なら「は?行くわけないじゃん。勝手に決めないでよ」ぐらい言えるが、子どもというのはほんとうに無力なものだ。この一件だけは未だに思い出しては母に文句を言うことがある。
サンクコストに惑わされないで
子どもの習い事なんて、やらせてみないと合うか合わないかわからない。しかも子どもは気分にムラがあるため、「いきたくない」と言う日もあれば、「もっとやりたい!」と言う日もあって、親としては「好きなの?嫌いなの?どっち!?」となるだろう。だから辞めさせるタイミングに迷うのだ。「簡単に辞めさせたら、嫌なことからすぐに逃げる人間になっちゃうんじゃないだろうか」と思ってしまうのもわかる。
でも、幼稚園生くらいならまだしも、小学生になって本人が辞めたいって言ってるのなら、もう悪あがきはせず、辞めさせてあげてほしい。本人はちゃんと親の顔色も読んだ上で言っている。続けたところで無駄なお月謝を払うだけだ。身になるわけがない。「せっかくここまで続けてきたのに…」という気持ちは、サンクコストという名のただの執着心なのだとミニマリストしぶさんも言っている。
私自身もそうだが、親が軽い気持ちで始めさせた習い事に子どもが思いのほか夢中になってしまい、予定していなかった大金がかかる、ということは非常によくある。「まさかこんなに長く続けるとは思ってなかった」というセリフを周囲の保護者たちから何度聞いたことだろう。
今はネットでいくらでも情報収集ができるいい時代だ。無い袖は振れない。事前のリサーチは大事だと思う。お金も時間も有限なので、まずは親である自分たちが好きで得意だったものを始めさせてみるといい気がする。なんだかんだ言ってもやはり遺伝の要素は侮れない。
よく夫に訊かれる。「もしうちに子どもがいたらバレエやらせてた?」
私の答えは「ノー」だ。
(ヤマハと書道は候補にいれると思う。)