ふたり暮らし

明日は明日の風が吹く

四十路の英語学習

ふたり暮らし。四十路の英語学習。
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基礎知識に救われた留学時代

大人になってから英語の勉強を始めて2ヶ月ほどになる。

 

16歳で留学していた時は、バレエ留学だったため語学習得に割ける時間は多くなく、英語力自体は留学前と留学後とではあまり変化しなかった。
(アウトプットできる勇気は自然と身についたが。)

 

いきなり決まった留学だったので準備期間もあまりなく、英会話なんて通う暇もなかったが、学校の英語しか勉強していなかった私でも一応現地で最低限の会話はできた。こちらの発音が悪くて伝わらない時など、最初のうちは筆談を使った。

 

語学留学だったら筆談なんてやっちゃダメ!と言われるかもしれないが、私はそうじゃなかったので、遠慮なくガンガン使わせてもらった。でもそれができたのは、中学英語の基礎がしっかり身についていたからだと今になって思う。

 

なぜなら、今まさに私は高校英語の基礎ができていないせいで、英語力の底上げに行き詰まっていると感じているからだ。

 

中学時代の私は、数学と理科はさっぱりダメだったが、英語と国語の成績はすこぶる良く、そういった意味で「語学の基礎」は留学前から下地としてしっかりあったのだろう。だから相手が省略せずにゆっくり話してくれれば理解できたのである。

 

もし基本的な文法知識や語彙力がない状態で行っていたら、誰の話もなんにもわからず、伝えたいこともなんにも伝えられず、途方に暮れていたと思う。

 

基礎知識が増えなかった高校時代

中学時代の私は、「高校に入る」という大きな目標があったために勉強はけっこうがんばっていた。さっぱりダメだった数学と理科も、英語と国語でカバーできる程度までは偏差値を上げた。志望校に落ちたらバレエを辞めると親と約束していたからだ。

 

で、無事に志望校に入れたあとは、ほとんど勉強しなくなった。

 

高校に入ったあとも英語はずっと変わらず好きな教科だったが、中学の頃のように予習復習をくり返すなんてしなかったので、「まあまあな点数」をどうにか維持するだけの3年間だった。好きな英語でこれなので、理系科目なんて卒業できたのが不思議なくらい、なんっにも覚えていない。

 

どの科目も、高校で新しく覚えたはずの基礎知識は定着しなかった。

 

基礎が命

バレエでもスポーツでもなんでもそうだが、やはり基礎は一番大事で、基礎が固まっていないと、どれだけその上に積み上げていこうとしても必ず行き詰まる時が来る。

 

今まさに私はその状態で、長文の英文読解に苦戦している。

 

これは高校英語の基礎がしっかりと身についていないせいだ。この2ヶ月間ひと通りやってきたが、圧倒的に反復が足りないのだろう。とくに単語が全然覚えられていない。

 

ひとつの単語を完璧にマスターしたといえる目安は、単語をパッと見て瞬時にその単語の意味や画像イメージが浮かぶことだと言われている。Japanやappleという単語を見て意味を考える人がいないのと同じように、少しでも多くの単語をその状態にしておかないと、長文読解は果てしなく困難な作業になるし、ましてや会話になると絶対についていけなくなってしまう。

 

この2ヶ月間で、仕事で必要なやり取りはほとんどマスターした。業務上、お客様に訊かれることや、こちらから伝えなければならないことはだいたい決まっているし、突拍子もないことを質問されたりしない限りは、ある程度対応できるようになった。訛りの強い人の英語も、最初の頃よりは理解できるようになった。

 

でもそうなると、人間というのは欲が出てくるものである。仕事である程度困らないレベルになれたならべつにいーじゃーん。と、以前の私なら考えていたと思うのだが、今はもっとレベルアップしたいと思うようになった。

 

ベテランのスタッフはお客様の難しい話にもついていけるし、自分から話題を振ってお客様を楽しませることもでき、時には英字ニュースをその場でさらさら〜っと一読し、それについて意見を述べ合ったりもしている。

 

私もあんなふうに英字ニュースを辞書なし・読み戻しなしで読めるようになりたい。お客様が置いて行く海外の雑誌をみんなみたいに読んでみたい。お客様から業務と関係ない話を振られても困らないようになりたい。

 

そんなふうに思うようになるなんて、やはり周囲の環境って大事なんだなぁと改めて実感する。職場Bには勉強熱心で努力家な人が多いのだ。日本人も外国人も、それぞれ母国語以外の勉強をコツコツ続けている。社員はほんの数人で、ほとんどがバイトや派遣の人たちなのに、「たかがバイトのために勉強するのは馬鹿らしい」なんて思う人はいないようだ。

 

習得に王道以外の道は無し

バレエの先生から口酸っぱく言われ続けた言葉がある。

「バレエに裏技なんてないわよ」

「基礎がきちんとできてない子は、この先も一生下手なままよ」

「行き詰まったら、まず基礎を見直しなさい」

 

これは自分が教師になってからより一層実感した。

 

大勢の子どもたちを見てきた中で、やはり地道な基礎訓練をおろそかにしていた子は、ある時から突然伸び悩む。小さい頃は持って生まれた運動神経とか利発さで上手に踊れていても、そのやり方が通用するのは10歳前後までで、それ以降はコツコツ基礎を固めて来た子にどんどん追い越されていくのである。

 

語学学習も同じだ。とにかく基礎の反復が何よりも大切だと語学が堪能な人は口をそろえて言う。

 

実際、夫の母は子育てが一段落ついてからNHKラジオ講座で勉強を開始し、英語を話せるようになった。文法以外でとにかくくり返しやったことは、単語帳と英文読解とその音読だったという。さらにカーペンターズの曲を真似して歌うことで耳と発音を磨いたそうだ。

 

単語や英文読解ばかりをガリガリやるより、実践とシャドーイングをくり返すほうが手っ取り早いという意見もよく聞く。たしかに私も留学中に耳から覚えた言い回しやイディオムは多い。カジュアルな会話だけならこのやり方でもいけるかもしれない。

でも、強固な基礎があってこそ、初めて応用が効くもの。 とくにビジネスや大人同士の会話をしようと思うなら、結局基礎的な知識が必要になる。言うにしても聞くにしても知らない言葉を操ることは不可能だし、「あ、こんなふうに省略して話すんだ」と理解するためには、その原文が頭に入っている必要がある。

 

勉強時間の確保が課題

中学生の若く柔らかかった頭でも、3年間毎日勉強して、ようやく英検3級レベルがマスターできたということは、40過ぎた若くも柔らかくもない頭で、しかも1日の中でたいして時間もかけられない今は、高校英語をマスターしようと思ったら相当な時間がかかって当たり前である。

 

とくに長文読解は、今は考える時間があれば解けるが、この状態からさらさら〜っと読めるようになるまでは、まだまだかなりの時間が必要そうだ。当面の課題は勉強時間の確保である。

 

今にして思うことは、強制的に1日何時間も机に向かう時間を確保されていた子ども時代というのは、本当はとても恵まれていたのかもしれないなーということだ。大人になると、自分で時間を確保しないと机に向かう時間は取れないし、取れたとしても、なんだかんだと小さな用事が気になって集中できなかったりもする。とくに主婦の場合は。

 

四十路の英語学習はまだ始まったばかり。生涯学習として、コツコツがんばろうと思う。