ふたり暮らし。古きをたずねて新しきを知る。
中国古典舞踊 神韻(シェンユン)
インスタでずっと気になっていた広告があった。それが中国古典舞踊 神韻(シェンユン)の公演広告だ。
バレエのアカウントばっかり観ていたので流れて来たのだと思うが、最初はへーーーとしか思わなかった。色鮮やかな衣装を身にまとい、一糸乱れぬ群舞の舞。おー!さすが中国!綺麗だなぁと思いはするものの、広告を最後まで観ることはせず、いつも飛ばしていた。
ある時、たまたま飛ばしそびれていつもより長く広告を観ていると、華やかな舞台映像のあとにレッスン風景が映し出され、高度なアクロバットの訓練に目が釘づけになった。そしてその後に、「古きをたずねて 新しきを知る」というナレーションが入り、さらに心を掴まれた。
「不安を振り払い、どこまでも謙虚な心を持ち、彼らは舞踊によって物語を描き出す」
「真・善・忍で満たされる心。彼らの姿はその内面を映す鏡となる」
謙虚な心、真・善・忍で満たされる心、坐禅を行う映像…なんか中国らしくないな、というのが正直な感想だった。日本人の感覚に近いものを感じる。
そこから興味を持って調べてみると、シェンユンは2006年にニューヨークで発足し、中国共産党による母国の支配にNO!を突きつけ、五千年の歴史を誇る、古き良き素晴らしい中国文化と精神性を取り戻すことを目的として活動している団体とのことだった。
中国の古典舞踊であるにもかかわらず、その思想から本国では上演を認められておらず、ダンサーの中には中国共産党によって自身や家族が迫害を受け、亡命を余儀なくされた人がたくさんいるそうだ。
中国共産党による迫害は暴力を使った直接的なものである。日本でも、迫害によって信仰を民衆から遠ざけようとした歴史があるが、中国は今でもそれを行っている。
内部からじわじわと日本を崩壊させようとしている日本政府と、直接的な迫害によって国民を支配しようとする中国政府、どっちがマシかと訊かれるとどっちもどっちだが、少なくとも日本人は日本でシェンユンを観ることができる。これを観たいがために、日本を始め海外を訪れる中国人観光客もいるらしい。
法輪大法
シェンユンのダンサーたちは、法輪大法と呼ばれる気功を日々修練することにより、精神と肉体を鍛えているとのこと。
絵空事ではなく、精神と肉体は実際につながっている。気功などの精神修行を伴うものを自己鍛錬や健康法として国民に広く取り入れられてしまうと、国にとっては都合が悪い。優れた気功師がやがて政府の脅威となる可能性があり、国民の高い精神性は支配層の人間にとって邪魔でしかないからだ。
だから中国では法輪大法以外にも、精神や肉体に効能があり過ぎて国内で行うことを禁止された気功がいくつかある。世界には、中国国内にいられなくなり、日本やその他の国々で活動している優れた気功師が大勢いるようだ。
※以下抜粋。
神韻芸術団は、五千年の歴史を有する中国文化の復興を目指しています。
はるか古代より、中国は神々の地、神州と呼ばれてきました。人々は天を敬い、徳を重んじ、善行に努めてきたのです。ところが中国共産党は、政権を掌握した1949年以来、数々の文化破壊の運動を起こしました。それにより、五千年という歳月の中で培われた精神や文物のほとんどが失われてしまいました。
かつて、芸術家は神々からの精神的な感受を大切にしていました。静かに座り自分をみつめて徳を修めました。まず自分が「善」でなければ、人々が高揚するような芸術を生み出すことはできないと信じられていたからです。
今日、神韻のアーティストたちは、この高潔な伝統を踏襲しています。精神的な感受の源は、法輪大法と呼ばれる精神修養法です。法輪大法は中国の伝統文化に根ざすもので、ゆったりとした動作と「真・善・忍」の日常生活での実践から成り、自己を鍛錬し、自我を捨てるよう修めていくものです。
神韻芸術団は、神韻公演を通じて正当な中国伝統文化を甦らせ、世界の舞台で披露しているのです。
実際に舞台を観て
前置きが長くなったが、先日このシェンユンの東京公演を観劇してきた。ある程度前情報はあったものの、実際に生で観てみると、もう「すごい!!」のひとことだ。
せっかく観るならと奮発していい席を取ったのだが、この舞台はどこから観ても十分に楽しめる舞台だと思う。遠くから観れば舞台全体の美しさがよくわかるだろうし、近くで観ればダンサーたちの息づかいまでもが聞こえてきそうな臨場感と迫力がある。バレエと違ってどの角度から見ても美しく見える衣装と、そのデザインの美しさを余すことなく活かした振り付け。次はぜひ2階席からも観てみたい。
私が観た公演では、西遊記や織姫と彦星のお話など、馴染みのある中国神話がわかりやすい演出やマイムで上演され、ひとつの作品はいずれもコンパクトにまとめてあるため、非常にテンポよく舞台が進行して行った。
背景のスクリーンに映し出される映像によって素速く舞台転換を行う手法は、舞台に観客を惹きこんだまま飽きさせず、合間に入る司会進行もそれ自体がひとつの作品のように優雅で美しい。途中、二胡のソロやテノール歌手の方のソロなども入り、中国楽器と西洋楽器を融合したオーケストラの演奏も素晴らしく、盛り沢山な内容だった。ほんとうにあっという間の2時間だった。もっともっと観ていたかった。
最後はいつも通り飲んで締める
いいものを観たら美味しいお酒が飲みたくなる。
場所は上野だったのだが、終演が21時過ぎだったため、その周辺で飲むと終電を逃す恐れがあり、飲みたい気持ちをぐっとこらえて帰路に着いた。
成田に着き、以前から気になっていたバーに足を運ぶ。お酒の中でもとくにワインにこだわっているマスターと、レストラン顔負けの本格的なお料理。小さなお店ではあるが、平日の夜中だというのにほぼ満席。大当たりである。決して都会じゃないのに成田すごい。もう引っ越したくない。
結局バーで閉店間際まで飲み明かし、調子に乗って帰りにアイスを買って帰った。家でアイスを食べながらシェンユンの感想を熱く語り合っていたら小腹が減ったので、餃子を焼き、2次会的な流れになっていつの間にかワインが1本空いた。窓の外を見ると白々と夜が明け始めていた。
翌日(?)は飲み過ぎと食べ過ぎによる腹痛と気持ち悪さで散々な状態になったが、後悔はない。最高の1日だった。