ふたり暮らし。雪が溶けたら…?
想像力の方向
最近ネットで見た質問。
「雪が溶けたら…の次に来る言葉を直感で答えてください。」
私の答えは「春になる」で、それ以外の答えは浮かばなかった。みなさんはどうですか?
この質問に対して、
「春になる」
「暖かくなる」
と答えた人は文系脳で、
「水になる」
「ぐちゃぐちゃになる」
と答えた人は理系脳なのだとか。
「いやいやそんなわけ…笑。雪が溶けたらたしかに水になるけど、この質問でとっさにそう思う人なんていないでしょ」と半ば疑いながら夫に同じ質問をしてみたところ、夫は「水になる」と即答したので驚いた。
えっ、ほんとにそう思う人がいるんだ?
夫が質問の真意を訊いてきたので教えると、「春になるって…笑笑笑。ロマンチストすぎ!笑」と大笑いされた。たしかにうちの夫は理系、私は文系である。事実を言っているだけで、これのどこがロマンチストなのかさっぱりわからないが、理系の人にはそう見えるのか。
(ロマンチストなのは私より夫のほうだと思っていたが…)
理系文系って、得意分野の違いだけかと思いきや、想像力の方向もちがうのかぁ…と新たな発見だった。
なるほどとは思ったけど、でもさ…
雪が溶けたら…春になるよねぇ?
(どうしても自分が多数派だと言いたい。笑)
プログラマーの夫
「プログラマーの夫」というネットジョークをご存知だろうか。
私がこれを初めて見たのはもう10年ほど昔のことになるが、もともとは2009年ごろにネット上で話題になった海外の方のツイートか何かが発端らしい(真偽は不明)。どういうジョークかというと、
妻がプログラマーの夫に、
「牛乳を2つ買ってきて。卵があったら6個買ってきて」
と頼んだところ、夫が買ってきたのは牛乳6個だった。
というもの。
最初にこれを見た時、私はまったくもって意味がわからず、当時SEをしていた夫に「これの意味わかる?」と尋ねたところ、「あはははは!わかる!!」と言われ、「なんでわかるの!?」と詰め寄る勢いで説明を求めた記憶がある。
普通(というと語弊があるが)、この言い方でお使いを頼まれたら、牛乳2つと6個入りの卵を買って帰るはずだ。でもプログラマーの人の思考はそうはならず、
①「ふむふむ、牛乳を2つ買うのね。」
② スーパーに着く。→最初に卵売り場に向かう。
③「お!卵あった!」
④「…てことは、牛乳6個買えばいいのか」
(卵がなければ牛乳は2個でいいのね、となる)
「…は?」というのが私の反応だ。なんでそんな曲解して受け取るのか。屁理屈じゃんと思った。しかし、夫が言うにはこれは屁理屈でもなんでもなく、時系列と条件に基づいた正しい行動なのだと言う。まあそもそも日本語の場合、牛乳は2本と数えるからこの例題は当てはまらないとは思うが、「こういう指示出しの仕方は混乱するんだよね」と言われてしまった。
このプログラマーの夫に正しい買い物をしてもらうためには、
「牛乳を2つ買ってきてね。」
「そしたら次に卵売り場にいって、6個入りの卵があったらそれをひとつ買ってきて。もし6個入りの卵がなかったら買わなくていいよ(あるいは4個入りのを買ってきてね。)」
「とにかく、牛乳と卵、両方ほしいの。わかった?」
と言わねばならないのだそう。
(やってられるか!)
そういえば、夫に買い物を頼むと必ず、「え、だからそう言ってるじゃん」と思うような念押しをされることをその時思い出した。たとえばこんなふうに。
私「キャベツ買ってきて。あ、あと玉ねぎあったら2〜3個買ってきて」
夫「…キャベツと玉ねぎ両方買ってくればいいってこと?」
私「うん。(ふたつしか頼んでないのに何故念を押す…?)」
夫「キャベツは1個でいいんだよね?」
私「うん。なかったら半玉のでいいよー」
夫「え?どっち?」
私「どっちでもいいから!(めんどくさいなぁもう!さっさと行ってきてよー!)」
当時はこういうやり取りにいちいちイライラしていたが、この「プログラマーの夫」を知って以来、夫の言動に合点がいくようになった。今はすっかりこういうやり取りがなくなったのだが、それは私が言い方を変えたのではなく、夫のほうが私の意図するところを読み取ることに慣れたのだ。世の中、プログラマーじゃない人が大半なんだから、慣れてくれなければ困る。
人間って面白い
同じ国、同じ時代に生きる、同じ言語を使う者同士なのに、言葉の受け取り方がこうもちがうなんて、そりゃあ世の中から争いは無くならないよな…と納得がいく。
人間の脳のほとんどが未だに解明されていないといわれているが、そう考えると、人間には未知数の能力があると考えずにはいられないし、自分も人間だけども、人間ってほんとに奥が深くて面白い。もっと自分のことも他人のことも、深く知りたいなと思う。だから私はブログが好きなのかもしれない。