ふたり暮らし。今年もまた、なりゆきまかせに。
やっと訪れた正月休み
新年早々、暗い内容の記事を書いてしまったので、今日は少しでも明るい(?)話題を。
怒涛の年末年始が過ぎ去り、ようやく連休を取っている。1週間分のシフトを休みにし、毎日「なにもしない」をしている。
夫は普段は飛び飛び休みだが、お盆とお正月だけはカレンダー通りの休日になるため、ひとりでゲーム三昧という楽しすぎる正月休みを満喫し、6日の朝は「次は私の番♪」と朝からダラダラする気満々の私を羨ましそうに横目で見ながら出勤して行った。笑
インドア夫婦なので、ふたり揃っての休日もほぼ出かけないが、ひとりだと尚更どこにも出かけない。寒いしめんどくさいしパジャマだし、心ゆくまでベッドでゴロゴロするのだ。せっかく成田山のそばに住んでいるが、初詣にいく予定も今のところはない。
旅の目的
私は目標を立てるのが子どもの頃から大の苦手だ。新年の抱負とかを訊かれるのが今も昔も好きじゃない。この質問に無理矢理答えるとしたら、「今日と同じ暮らしを明日もしたい。特別なことはしたくない」だ。
旅行に行く時なども前もって計画を立てるのが苦手で、唐突に行き当たりばったりな旅をするのが好きである。そのせいでその土地を楽しみ切れていないと思うが、それでもべつに構わない。ホテル以外は何も決めず、予約もしない。旅先で時間や予定に縛られたくないのである。
たぶん、私たち夫婦にとっての旅の目的は、特別な体験や非日常を過ごすことではなく、日常の延長線でちょっとリフレッシュすることなのだと思う。だからいつも、「(目的地に)着いても着かなくてもどっちでもいいや」とすら思っている。私たちの中では、家から出発しただけで旅行をするという目的は果たせているのだ。
これを前向きと呼ぶべきか、後ろ向きと呼ぶべきかはわからないけども、たとえ道に迷っても乗る電車を間違えても、まったくストレスにならないので、たぶん変化球的な前向きさなんだろう。
静岡旅行
2ヶ月ほど前にも、ふと思い立って静岡に行った。静岡県には何ヶ所も新幹線の停まる駅があり、それぞれが観光名所になっている。関東の人にとってなじみ深いのは、御殿場や伊豆、熱海だと思うが、このあたりは静岡県の入り口も入り口だ。ここまでなら日帰りでも来られる。
私たちは「せっかくだからとりあえず静岡県の真ん中まで行ってみよう」とだけ決め、静岡駅で新幹線を降りた。
静岡駅周辺はとてもおしゃれで都会的で、なのに少し離れると雄大な海と富士山の見える美しい国道があり、海と反対側には海辺の町らしいおしゃれなカフェが佇んでいた。
バスを適当におりて住宅地を散策したら、畑や空き地のあるのどかな住宅地の中に可愛いレストランやケーキ屋さんやパン屋さんが点在し、メインストリートのインテリア雑貨店には、都心のインテリアショップ顔負けの、洗練されたデザインの家具や雑貨が並んでいた。ニ◯リや◯印にはないおしゃれさだ。
静岡の人たちってグルメでおしゃれな生活をしてそうだなぁ…と感じた。観光地もいいが、こういうなんでもないよその町を散策すると、その土地に住む人の生活を垣間見れるような気がして楽しい。
静岡市内のショッピングモールにも寄ってみた。ちびまる子ちゃんの住んでいた清水市がお隣ということで、まる子のオブジェや顔出し看板があり、小さい子向けのアクティビティがあった。モールなので、売っているものや入っているお店自体はとくになんの特色もなかったが、モール内の回転寿司がおいしかった。回転寿司で感動したのは函館以来である。静岡はお魚が美味しいと言われているが、ほんとうにその通りだと実感した。
夕方になって駅まで戻り、駅前の繁華街も散策した。どことなく横浜駅と似た雰囲気だが、横浜ほど人口密度が高くないから最高だ。わざわざどこかへ出かけていかなくても、食事も買い物も娯楽もすべて、ここで完結できるだろう。暮らしていくのになんの不自由もなさそうどころか、むしろ超便利そうである。静岡駅周辺の地価が上がりまくりというのには納得だ。
なりゆきまかせの人生
静岡旅行で私たちがしたことは、これだけだ。静岡ならではの何かを体験したり、名所を訪れたりしたわけではない。行った場所が静岡だっただけで、やっていることは普段の生活とほとんど変わらないため、「静岡旅行してきたんだー!」などと、とても人には報告できない。笑
私は日常と非日常との落差が大きいと疲れてしまう。ちょっとだけよその町に行き、その土地の生活をのぞき見できれば、それだけで楽しい。目的のない旅が好きなのだ。
人生に対する考え方もそれに似ている。子どもの頃からずっと、夢も目標もなく生きている。ある意味、自分の人生に対してあまり執着心がないのだと思う。
(死にたいという意味ではない。笑)
バレエの先生になったのだってなりゆきだ。周囲から「夢を叶えてすごいね」と言われることがよくあったが、私はバレエの先生になることを夢みていたわけではなかったし、なるための設計図も目標も描かなかった。そこには漠然とした憧れがあっただけで、それはいわば「もし宝くじが当たったらなにしよっかな〜」と同じくらいの、その程度の思いだった。
そんななりゆきまかせの私なので、当然新年の目標も抱負もなにもない。「現状維持を望むことは後退を意味する」とよく言われているが、だったら「後退しない程度に前進しつつ、結果的に現状を維持すること」が目標といえば目標なのかもしれない。